月別アーカイブ: 2012年10月

ピカソと医療(2)

さて前回からの続きですが(お読みになっていない方は「ピカソと医療(1)」を先にお読みください。)、健診での一寸した検査値異常を「お医者さんに相談」しても一般的な答えしか返ってこないのであまり意味のないことなのでしょうか?

医師の立場からすると初めて診察する方に「必ずしも治療が必要でない検査値異常」を相談された場合、「すぐに服薬する必要はありませんが、生活習慣を見直してしばらくしてもう一度検査をしましょう。」と答えざるを得ないのが実情です。(検査値が正常範囲内であっても、服薬が必要になる場合があることや、適切な時期に服薬を開始しないと「服薬しない副作用」が進行してしまうことは、以前のブログに書きましたね。)

この様な説明を聞くと多くの方が「お医者さんに相談したけど、薬を飲む必要が無く様子を見てくださいと言われました。」と理解されるようですが、実は「この異常値が生活の乱れによる一時的な物かどうかを見極めなければ、服薬が必要かどうかは現時点では判断ができませんので、もう一度検査をする必要があります。」という意味なのです。

ですから一寸した検査値異常を相談する場合に、もし可能でしたら2回は行くつもりで受診をしていただくと「お医者さんに相談」する意味は十分にあると思います。
将来的には毎年の健診・検査データを記録するだけで、将来的な発症予測をするシステムが出来れば、2回も受診していただく必要が無くなるのではないかと思っています。

現代医学は治療に関して大変強力で実効性のあるツールでありますが、「予防医学」に関してはまだまだ有効性や実効性に疑問符が付きます。芸術界のピカソのような独創的な発想で医学の現状を打開してくれる天才が現れるその時まで、一寸した検査異常があった場合、『「お医者さんに相談」×2回以上』の心づもりでよろしくお願いいたします。

(追伸:皆様のおかげさまで「ピカソと医療(1)」は検索エンジンの1番になっているようです。)


ピカソと医療(1)

急に寒くなってきましたね。インフルエンザはまだ多くないようですが、咳が続く風邪と胃腸炎が猛威をふるっているようです。いつもは2−3日で治る人でも、しつこく長引くこともあるようですので、早めに養生した方が良いみたいです。

さて、前回まで「副作用と代償機転」というシリーズで少々込み入った内容を書いたので、今回は肩肘を張らずに、芸術の秋にちなんだ話題を書いてみたいと思います。(実はインターネットの検索エンジン一番狙いだったりして・・・・・・)

私もあまり芸術に造詣が深いわけではないのですが、ピカソといえば何が書いてあるか解らない絵をたくさん残している人です。(これを「キュビズム」というそうです。)よく解らないと思うのはいつの時代も同じ様で、ピカソの絵が日本で初めて紹介された大正時代(?記憶違いかも)には、よく分からない事があると子供達がピカソやなぁー!」と言うのが流行したそうです。

そもそもピカソは古今東西の一流の画家にも引けをとらない腕前を持っていたのですが、普通に書いていたのでは表現においてはルネッサンス期の巨匠にかなわず、正確さにおいては写真などの後塵を拝する事を悟り、苦悩の中で「キュビズム」を生み出し芸術の新たな地平を開いたそうです。

医療業界においては「予防医学」の必要性が声高に言われるようになって久しいのですが、予防医学の新たな地平を開く決定打はまだ無いのが現状であると思います。テレビCMや講演会、メタボリック検診など色々な方策が行われていますが、検査の異常値を見て「お医者さんに相談だ!!」と思っていただける事はまだまだ少ないようです。

そんなこと言っても「お医者さんに相談しても、腹八分目や減量など一般的なことしか言ってもらえないし・・・・・・」との言葉が聞こえて来そうです。実は「その通り」なのです。今の医学ではどの生活習慣を直せば良くなるのか個々人にあった方法を事前に知ることが出来ないのです。

では一寸した検査値異常を「お医者さんに相談」しても意味のないことなのでしょうか?

気楽に書くと言いながら、思った以上に熱が入って長くなってしまったので、続きは次回に・・・・・・・・させてください。

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副作用と代償機転(6)

今週の話題と言えばiPS細胞の山中教授がノーベル賞を受賞したことでしょう。おめでとうございます。これで臨床応用に弾みが付くと良いですね。

さて、前回は「薬を飲まないことによる副作用」について書きましたが、この「副作用と代償機転」シリーズの最後に生体内で代償機転が働き続けるとどの様なことが起こるのか、イメージを具体的にお伝えしたいと思います。

ここでは私の専門のひとつでもあり、他の疾患に比べて比較的研究が進んでいる「心不全」について取り上げてみたいと思います。

「心不全」の定義は難しいのですがここでは簡単のために、心臓の収縮力(ポンプとしての機能)が低下した状態として話を進めますね。(「心不全」=「心(ポンプ)機能低下」としてください。)

心臓のポンプとしての機能が低下すると、心臓が大きくなったり体に水分が溜まり易くなったり色々な変化が起きるのと平行して、心筋細胞から心臓を保護する蛋白質(BNPなど)がたくさん分泌されるようになります。これらの蛋白質の働きにより、心臓の機能低下があっても生体の恒常性(ホメオスターシス)はある程度保たれます。しかし、心臓の機能低下が進行して長期間にわたると、心筋細胞は心臓を保護する蛋白質をよりたくさん効率的に出そうとして、遺伝子の状態を変化させることが解っています。

通常は、その細胞にとって必要性の少ない(蛋白質にして働かせる必要のない)遺伝子は、ヒストンという蛋白質に巻き取られて働かないようになっているのです。しかし、心不全が長く続くとヒストンの巻き取りが緩んで、不必要な蛋白質がたくさん出てきてしまうのです。こうなると、心臓の筋肉細胞自体が変化してしまい、治りにくい(難治性の)心不全になってしまうのです。

この様に代償機転が働かなければならない様な状態を放置しておくと、自分自身が遺伝子や細胞のレベルで変化して取り返しの付かない状態に落ち込んでしまうのです。つまり「薬を飲まないことによる副作用」は単に何かが悪くなるのではなく、自分が大きく変わってしまう副作用なのです。(恐ろしいですね。)

「副作用と代償機転」の関係についてご理解いただけましたでしょうか?
今回のシリーズはこの辺で筆(キーボード)を置かせていただきたく存じます。

 


副作用と代償機転(5)

明け方は毛布が必要なぐらい冷え込んでいますが、昼間は温度が上がって夏日になるそうです。寒暖の差が激しいので、体調管理にはお気を付けください。

今回までのブログでやっと「副作用と代償機転」の関係について説明する準備が整いました。(今回から読まれた方は、「副作用と代償機転(1)〜(4)」を先に読まれることをお勧めします。)いつもは、説明を書き連ねた上で私の伝えたいことを書くのですが、今回は趣向を変えていきなり結論を書いてみようと思います。

「薬を飲まないことによる副作用がある!!」

初めて読まれた方は「?????・・・・・この医者大丈夫か?」と思われるかも知れませんが、これまでのブログを読まれている方はどの様な話になるか、気付いておられると思います。

前回の最後の部分に「短期的にはよいとして、長期的に何かを犠牲にし続ける(代償機転が働き続ける)ことは決して生体に好ましくないことは容易に想像が付きますよね。」と書きましたが、生体のホメオスターシス(恒常性)を保つために必要不可欠な代償機転には、副作用(犠牲)がついて回るのです。

例えば、高血圧によって四六時中血管に圧力がかかると血管壁を強化するような代償機転が働くのですが、長期になると血管壁自体が硬くなってしまう(動脈硬化)ことをイメージしていただければ解りやすいと思います。

降圧薬は血圧を下げることなどにより、代償機転が働かなければならない状態を改善するものですので、「血圧が高いのに降圧薬を飲まないこと」は、代償機転が働き続ける状態にして、それに付随する「副作用(犠牲)」を放置していることになるのです。

「薬を飲むことによる副作用」は解りやすいのですが、「薬を飲まないことによる副作用」は密かに進行していくこともあり、実感しにくいと思います。
次回のブログでは、「代償機転の副作用」が体の中でどの様に悪さをするのかを書いて、「薬を飲まないことによる副作用」のイメージを具体的にお伝えできれば思っています。