月別アーカイブ: 2014年6月

灰色の静脈

最近、蒸し暑い夜が続いていますがよく眠れていますでしょうか?十分に睡眠を取れないことが、思わぬ体調不良の原因となっていることもありますので、お気をつけください。また、湿度が高く汗が乾きにくいこの時期は、気温は高くなくても熱中症になり易い時期ですので、併せてご注意ください。

さて「青筋を立てる」などと表現される静脈ですが、実際には違う色だという記事が昨日出ておりました。

立命館大学の北岡明佳教授の研究によると、

「腕や脚を撮影し、画像処理ソフトで静脈の画像の色を調べたところ、実際は黄色がかった灰色だった。」

のだそうです。

「色の対比」といわれる現象があり、「赤い」ものに囲まれると「青色」が強調され、「青い」ものに囲まれると「赤色」が強調されるとのことです。そのため、赤色がかった肌色に囲まれた静脈は「青く」見えるのだそうです。

遙か昔から動脈と静脈を表すのにそれぞれ赤色と青色を用いる慣習がありますが、「実際は赤色と灰色にしなくてはいけないのだろうか?」と思ってしまいました。

私が以前勤めていた国立循環器研究センターのマークも「赤色で動脈循環」「青色で静脈循環」を表しているのですが、「本当は赤色と灰色の組み合わせ!」とばかりに絶句してしまいますね。(デザイン的にもクールでないですね。)

もし可能なら、北岡教授に次は脳の色を調べてもらいたいものです。その結果次第では、名探偵エルキュール・ポワロの名台詞「私の灰色の小さな脳細胞が・・・・・」が、循環器病研究センターのマークと同じ目に遭うのかもしれません。

そんなことを考えながら、キーボードを打つ手の甲に目を何度向けても、静脈がくっきりと「青い色」で目に飛び込んで来てしまいます。

皆さんも「それでも静脈は青い」と言いたい気持ちになりますよね。(ガリレオではありませんが・・・・)


生命(いのち)を見つめるフォトコンテスト

梅雨入りしたはずの大阪ですが、まとまった雨は降りませんねぇ。夜昼の温度差も大きいようですので体調にお気をつけください。

最近、医師会からのお知らせを見て「!」と思ったものがありました。

『第16回「生命(いのち)を見つめる」フォトコンテスト』

というものです。日本医師会と読売新聞社が主催するフォトコンテストとのことです。

「日本医師会と読売新聞社は生命の尊さ、大切さを考えてほしいとの願いを込め、「生命(いのち)を見つめる」フォトコンテストを開催しています。
周囲の生きとし生けるものすべてが被写体です。レンズを通して「生命」を感じた作品をご応募ください。」(HPより引用)

ここ(http://info.yomiuri.co.jp/event/2014/02/post-439.php)に載っている前回の受賞作を見てみますと、どれも力作揃いの写真が並んでいました。その写真を見ていると、私の中の素人写真家が「どの様に生命を表現できるかなぁ?」と騒ぎ出すのを感じました。

今はまだ、在り来たりのイメージしかわきませんが、11月14日の〆切までになにか思い付くのではないかと楽天的に考えてしまいます。

最優秀賞には何と30万円の賞金が付くそうですので、皆様もこぞって応募されてはいかがでしょうか?

受賞されましたら、このブログが切っ掛けだとご一報いただければ幸いです。(私が受賞したらこのブログで報告させていただきます。 果たして応募できる様な写真が撮れるのでしょうか・・・・・・)

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幕末・明治の超絶技巧と医療

大阪では例年ですが、梅雨入りすると雨が降りませんね。(都合良く夜に降っているみたいですが・・・)エルニーニョ現象が起きているため、今年の梅雨は長くて冷夏かもしれないとのことです。去年が酷暑だったので、作物のことを除けばありがたいかもしれません。

さて最近テレビなどで良く取り上げられるので、目にした方も多いと思いますが「幕末・明治」の工芸品の緻密さには本当に驚かされます。その多くが輸出用であったため国内に残っておらず、気軽に見ることが出来ないのが残念です。

象牙のタケノコや金属で出来たヘビ、平面に書かれているのに立体に見えるクジャクなど、本物と見紛うような出来映えに、口から出てくるのはため息ばかりです。

「幕末・明治期の人は凄いなぁ」と言ってしまえばそれまでなのですが、何だか釈然としませんよね。道具や機械も高度化している現代で、どうして「幕末・明治の超絶技巧」に勝る物が作れないのでしょうか?

実は「幕末・明治の超絶技巧」が生まれる背景には、今とは比べ様もない極端な「円安」という経済的な背景があるとのことなのです。「超絶技巧」を駆使して時間をかけて作品を作っても、海外でそれなりの値段で売れれば、極端な「円安」のため数年間の給金に相当するお金が入って来る状況だったのです。

その後、徐々に「円高」が進んでくると、いくら良い物を作っても「数年間の給金」が得られるような事はなくなり、「幕末・明治の超絶技巧」は衰退の一途を辿っていったとのことです。

「幕末・明治」の職人さんの志が高かったことは疑いのない事実ですが、それを支える経済的な環境がなければどうしようもないこともまた現実です。

素晴らしい作品を見ながら、「このまま医療費が削られていくと志のある医療はどうなるのだろう・・・・・?」と一抹の不安が頭をよぎりました。


生活習慣と生活習慣病(5)

今回は前回までの関連として「体質と環境のミスマッチ」についてもう少し書きたいと思います。

当院を受診され、生活習慣病である事が血液検査等の異常から判った場合、日頃から健康に気をつけて生活なさっていますかとお聞きすることにしています。

自ら当院を受診された大変健康意識の高い方が多いので、たいていの場合「しています。」という返事が返ってきます。

そんな時には、「特に改める生活習慣が思い付かれないようでしたら、薬を始めましょう!」とお伝えするのですが、「???????」と丸い目でビックリされることがあります。
今にも「健康的な生活を送っているのに、何で薬なんで・・・」という言葉が今にも出て来そうです。

これまでの私のブログを読まれている方でしたら、察しがつくと想いますがいかがですか?

そうです、「良い生活習慣」をしているのに生活習慣病の「検査異常」が出ているのは、9000歩も歩いているのに耐糖能異常(IGT)がある人と同じと考えられるのです。(多く歩いているのに耐糖能異常(IGT)になっている人は、さらに多く歩かないとリスクを減らせないのです。)つまり「良い生活習慣」をしているのに生活習慣病の「検査異常」が出ている方は、それ以上「生活習慣」を改善できないので、服薬によってリスクを下げる必要があるのです。

結局薬を飲まないといけないのなら、「良い生活習慣」をしてきたのは無駄な努力だったのでしょうか?

決してそんなことはありません。もし「良い生活習慣」をその人がしていなければ「環境と体質のミスマッチ」の観点から、もっと病態がひどいことになっていて、「薬を始めましょう」などと暢気なことを言っていられなかったのかもしれないのです!高い健康意識と弛まぬ努力で「環境と体質のミスマッチ」の影響を最低限に抑えてこられたのです。

「体質と環境のミスマッチ」は他人との「比較」ではなく、自分の健康を「評価」し続けなければわからないものなのです。

「生活習慣と生活習慣病」の微妙な関係について、分かり易く説明できていますでしょうか?皆様の「評価」にお任せいたしたいと思います。