カテゴリー別アーカイブ: 副作用と代償機転

ジェンガと手打ちそばと健康

明けましておめでとうございます。本ブログをお読みいただいている方々に、ご愛読の感謝と新年の挨拶を申し上げます。今年度も、医療・医学的な考えを身近に感じていただけるように、頑張りたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。

さて、昨年のクリスマスパーティーで「ジェンガ」をして盛り上がったのですが、「ジェンガ」をご存じでしょうか?「ジェンガ」は同サイズの直方体のパーツを組んで作ったタワーから崩さないように注意しながら片手で一片を抜き取り、最上段に積みあげる動作を交代で行うテーブルゲームです。

ゲームを進めていくと、下段が歯抜けてどんどんと不安定になり、最後には崩れてしまうのです。もちろん崩した人には罰ゲームが待っています。それまで積み上がっていたものが、崩れる時は指先で軽く触っただけでも劇的に崩壊を起こすダイナミックさが人気の一因かもしれません。

新年になってから、以前から興味のあった「手打ちそば」に挑戦しました。下調べにインターネットで色々と調べて、水加減が大変難しいと解っておりましたので、慎重の上にも慎重に決められた水量を加えたのですが、全く団子状になる様子がありません。考えあぐねた上で、少しだけ水を追加したらいきなり、粘土のようになってしまいました。

「手打ちそば」で水が多いと粘土のような「ぐず玉」になってしまうことは知っていたのですが、「あんなに少量の水で・・・・?」と大変驚いてしまいました。そば粉が保持できる水分を少しでも超えると、一挙に崩壊が起こり、粘土玉になってしまうのだそうです。

実は、健康も「代償機転」が働いて何とか症状が出ないようにバランスを保っているのですが、ある点を超えると一挙に崩壊して、坂道を駆け下りるように病状が悪くなることがあります。(代償機転については以前のブログ「副作用と代償機転」をお読みください。)

健診での異常値やチョットした違和感を放置して大きな健康崩壊を来さないためにも、相談に来院いただけると幸いです。

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副作用と代償機転(6)

今週の話題と言えばiPS細胞の山中教授がノーベル賞を受賞したことでしょう。おめでとうございます。これで臨床応用に弾みが付くと良いですね。

さて、前回は「薬を飲まないことによる副作用」について書きましたが、この「副作用と代償機転」シリーズの最後に生体内で代償機転が働き続けるとどの様なことが起こるのか、イメージを具体的にお伝えしたいと思います。

ここでは私の専門のひとつでもあり、他の疾患に比べて比較的研究が進んでいる「心不全」について取り上げてみたいと思います。

「心不全」の定義は難しいのですがここでは簡単のために、心臓の収縮力(ポンプとしての機能)が低下した状態として話を進めますね。(「心不全」=「心(ポンプ)機能低下」としてください。)

心臓のポンプとしての機能が低下すると、心臓が大きくなったり体に水分が溜まり易くなったり色々な変化が起きるのと平行して、心筋細胞から心臓を保護する蛋白質(BNPなど)がたくさん分泌されるようになります。これらの蛋白質の働きにより、心臓の機能低下があっても生体の恒常性(ホメオスターシス)はある程度保たれます。しかし、心臓の機能低下が進行して長期間にわたると、心筋細胞は心臓を保護する蛋白質をよりたくさん効率的に出そうとして、遺伝子の状態を変化させることが解っています。

通常は、その細胞にとって必要性の少ない(蛋白質にして働かせる必要のない)遺伝子は、ヒストンという蛋白質に巻き取られて働かないようになっているのです。しかし、心不全が長く続くとヒストンの巻き取りが緩んで、不必要な蛋白質がたくさん出てきてしまうのです。こうなると、心臓の筋肉細胞自体が変化してしまい、治りにくい(難治性の)心不全になってしまうのです。

この様に代償機転が働かなければならない様な状態を放置しておくと、自分自身が遺伝子や細胞のレベルで変化して取り返しの付かない状態に落ち込んでしまうのです。つまり「薬を飲まないことによる副作用」は単に何かが悪くなるのではなく、自分が大きく変わってしまう副作用なのです。(恐ろしいですね。)

「副作用と代償機転」の関係についてご理解いただけましたでしょうか?
今回のシリーズはこの辺で筆(キーボード)を置かせていただきたく存じます。

 


副作用と代償機転(5)

明け方は毛布が必要なぐらい冷え込んでいますが、昼間は温度が上がって夏日になるそうです。寒暖の差が激しいので、体調管理にはお気を付けください。

今回までのブログでやっと「副作用と代償機転」の関係について説明する準備が整いました。(今回から読まれた方は、「副作用と代償機転(1)〜(4)」を先に読まれることをお勧めします。)いつもは、説明を書き連ねた上で私の伝えたいことを書くのですが、今回は趣向を変えていきなり結論を書いてみようと思います。

「薬を飲まないことによる副作用がある!!」

初めて読まれた方は「?????・・・・・この医者大丈夫か?」と思われるかも知れませんが、これまでのブログを読まれている方はどの様な話になるか、気付いておられると思います。

前回の最後の部分に「短期的にはよいとして、長期的に何かを犠牲にし続ける(代償機転が働き続ける)ことは決して生体に好ましくないことは容易に想像が付きますよね。」と書きましたが、生体のホメオスターシス(恒常性)を保つために必要不可欠な代償機転には、副作用(犠牲)がついて回るのです。

例えば、高血圧によって四六時中血管に圧力がかかると血管壁を強化するような代償機転が働くのですが、長期になると血管壁自体が硬くなってしまう(動脈硬化)ことをイメージしていただければ解りやすいと思います。

降圧薬は血圧を下げることなどにより、代償機転が働かなければならない状態を改善するものですので、「血圧が高いのに降圧薬を飲まないこと」は、代償機転が働き続ける状態にして、それに付随する「副作用(犠牲)」を放置していることになるのです。

「薬を飲むことによる副作用」は解りやすいのですが、「薬を飲まないことによる副作用」は密かに進行していくこともあり、実感しにくいと思います。
次回のブログでは、「代償機転の副作用」が体の中でどの様に悪さをするのかを書いて、「薬を飲まないことによる副作用」のイメージを具体的にお伝えできれば思っています。


副作用と代償機転(4)

副作用の説明が続いたので、今回は再び「代償機転」について書きたいと思います。

代償機転は「生命活動や生体の安定(ホメオスターシス:恒常性)を保つために起こる素早い生体応答」と以前のブログで書きました。当然、生命維持には必要不可欠の大切なものであることは言うまでもないでしょう。そのため「代償機転=良いもの」とのイメージが自ずと付きまといます。自分の体に「自然に」備わっているものですから、「体に悪いものであるはずがない!」との思いがこのイメージをさらに強化するのです。

ここでもう一度「代償機転」の定義を思い出してみてください。「生命活動や生体の安定(ホメオスターシス:恒常性)を保つために起こる素早い生体応答」でしたね。ここで大切なのは「素早い生体反応」というところです。つまり、「代償機転」は短期的に生体の安定(ホメオスターシス)を保ちますが、長期的に保つようには出来ていないのです。

つまり、現代社会のように常にストレスにさらされている様な自然とはかけ離れた状態では、これまで生体が進化させてきた「代償機転」を含む適応機構は十分には機能しないと言えるのです。

また、「代償機転」の代償の意味は「代償:目的を達するために、犠牲にしたり失ったりするもの。」であったことを思い出してください。「代償機転」は生体の安定(ホメオスターシス)のために何かを犠牲にしているのです。短期的にはよいとして、長期的に何かを犠牲にし続けることは決して生体に好ましくないことは容易に想像が付きますよね。

次回はいよいよ「副作用と代償機転」の関係について明らかにしたいと思います。(鋭い方には既にネタばれかもしれません・・・・・。)

 

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副作用と代償機転(3)

9月も3週目の終わりにさしかかり、やっと涼しくなってきました。暑い時期が長かった分、今年の秋は余裕を持って満喫したいものですね。

さて今回は「副作用」にどうして怖いイメージが強固に付きまとうのかについて考えてみたいと思います。この「副作用」に張り付いている怖いイメージの元を私なりに考えてみますと、たぶん「予想しなかった作用(反応)」ということに行き着くと思います。


「薬を飲んだらアレルギー反応が出て大変な目にあった。」などのイメージはすぐに思い付くのではないでしょうか?アレルギー反応は非常に頻度が低いのですが、予測不可能な上、強い症状を呈することもあり大変怖いものです。このアレルギー反応も広い意味では「薬を飲んだことによる副作用」と言えますし、実際に説明される場合も「薬の副作用で・・・・」と言われるため「副作用=怖いもの」とのイメージがしっかりと出来上がってしまっているのだと思います。しかし、このアレルギー反応は薬自体の「副作用」ではなく、実は体に備わっている免疫機構の特異的な反応なのです。(先ほどあえて「薬を飲んだことによる副作用」と書いたのはこの意味です。)


生活習慣病などで服薬する場合に心配しなければならない「副作用」は、薬剤開発時の治験やこれまでの使用経験で予測されるものであり怖がる必要はないのです。もしある薬に「怖い副作用」が予測されるのであれば、そもそもその薬は長期間服用する生活習慣病の薬には決してならないのです。(新しい薬では「予測されない副作用」が隠れている可能性は否定できませんが、全世界で多くの人に日々使用されることにより、危険性は急速に小さくなっていきます。)

みなさんがお持ちの「副作用」のイメージは私の解析に当てはまっていますか?それとも・・・・・


副作用と代償機転(2)

前回は生体の安定(ホメオスターシス:恒常性)を保つために働く「代償機転」について説明させていただきました。今回はみなさんも良く耳慣れていると思われる「副作用」について説明いたします。

「副作用」と聴くと何だか怖いもののようなイメージを持って居られる方が多いと思います。当医院でも生活習慣病や検査異常のある方に服薬開始をお勧めするとたいていの場合、「飲み始めたら一生飲まないといけないのでしょ?『副作用』が怖いし・・・・・」というような反応が返ってきます。
(以前のブログ「錯覚と生活習慣病(3):予防薬と治療薬」などをご参照ください。)


確かに薬の「副作用」で大変な目にあったとの話は枚挙に暇がありませんが、本来「副作用」という言葉自体には「悪い・怖い」という意味は含まれていないのです。「副作用」は服薬で期待される主な作用(「主作用」といいます。)以外に起こってくる作用を意味しているだけで、「良い・悪い」の区別はないのです。目立って取り上げられるのが「悪い副作用」なので、そんなイメージが定着してるのだと思います。


例えば、高血圧の時に使われる薬でアンギオテンシン変換酵素阻害薬(ACEI:エース阻害薬)には咳が出やすくなる「副作用」があるのですが、この「副作用」には高齢者の誤嚥(本来胃に送られるものが肺に入ってしまうこと)を軽減することが知られています。この様に「副作用」の良い・悪いは状況や使い方によって変わるものなのです。

「副作用」があるからといって闇雲に恐れて、本来得られるはずのメリット(利点)を無くしてしまうことは大変もったいない話なのです。「副作用」はあくまで副次的なもので、服薬に関していうと「副作用」が服薬のメリットである「主作用」より強く出るのであれば、そもそも薬にならないのです。

それにしても「副作用」には怖いイメージが強固に付きまとっていると思いませんか?次回はその辺りを書きたいと思います。

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副作用と代償機転(1)

9月に入りましたが、まだまだ暑い日が続いています。この時期に夏の疲れが、出てしまうこともありますのでお気を付けくださいね。

さて、今回から「副作用と代償機転」について書きたいと思います。私の頭の中には色々とお伝えしたいことが駆け巡っているのですが、拙い文章力で何処まで表現できるのか少し心配です。そこは、「案ずるより産むが易し」の精神で、思い切ってはじめてみます。


たぶん、「副作用という言葉は耳慣れているけど、代償機転という言葉は知らないなぁ」といわれる方が多いのではないでしょうか?「代償+機転」で代償機転(だいしょうきてん)なのですが、眼にも耳にも、難しそうな印象を醸し出していますよね。
調べてみますと「代償:目的を達するために、犠牲にしたり失ったりするもの。」と書かれています。(そう言えばドラマの台詞に「命の代償として・・・・・・」なんてありましたね。)後は機転ですが「機転を利かせて危機を回避した。」の様に使われて、素早い応答や働きを示すようです。

これらを総括しますと医学分野でいわれる代償機転は「生命活動や生体の安定(ホメオスターシス:恒常性)を保つために起こる素早い生体応答」と書けると思います。わかりやすい例としては、「怪我などで出血すると脈が速くなることにより(代償機転)血圧を保とうとする(安定性)」などが思い当たります。この様に我々の体の中では、様々な代償機転が日々働いてホメオスターシスを保っているのです。

次回は副作用について説明したいと思います。