与謝野晶子♥生誕140周年

皆さま、こんにちは大阪市淀川区で「脱毛症の専門治療・下肢静脈瘤や眼瞼下垂症などの日帰り手術・美容治療」に力を入れているしんおおさかクリニックのスタッフ中尾です

先日、愛をうたった女たちと題して、与謝野晶子柳原白蓮が紹介されていました

柳原白蓮は、NHK連続テレビ小説「花子とアン」で仲間由紀恵さんが演じられていたのが記憶に新しいと思います。与謝野晶子もまた、白蓮に負けず劣らず情熱的な愛に生きた女性でした。

今年生誕140周年を迎える情熱の歌人、与謝野晶子

与謝野晶子 ←与謝野晶子

本を読み文学の世界に浸ることが唯一の楽しみだった内気な少女。そんな晶子が21歳の時、人生を大きく変える男性と出逢います。その男性こそが、のちに夫となる与謝野鉄幹です。物事を力強く率直に歌う鉄幹にすっかり夢中になった晶子ですが、当時鉄幹には内縁の妻と子がいました。

その内に秘めた思いを、こんな歌にしています。

やは肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君(私の柔らかな肌の熱い血を感じもしないで、さびしくはないのですか。道徳ばかりを説くあなた)

出逢ってから5か月後、晶子と鉄幹は二人だけの旅に出かけます。そして鉄幹は妻と別れ、ついに二人は結婚します  この頃、鉄幹のプロデュースにより出版した歌集が「みだれ髪」です。

タイトルそのままに、晶子は熱い思いを大胆に詠いました。

みだれ髪 ←みだれ髪

二人は11人もの子供に恵まれた、賑やかな結婚生活を送ります。しかし、一方で色々と予想外のことが起き、家計は苦しかったようです。さらに、鉄幹が情熱を注いでいた雑誌「明星」が時代の流れに取り残されて、発行部数が落ち込み、100号をもって廃刊に追い込まれます。大きな失意の中、挫折を味わった鉄幹の再生を願い、晶子は夫をフランスへ送り出します。

これで夫が元気になって帰ってきてくれれば一安心、と思ったのもつかの間。今度は晶子自身が遠く離れた夫を思い、食べ物が喉に通らなくなり、気持ちもひどく落ち込みます  そして、鉄幹が恋しくて寂しい晶子は、子供たちを残したままパリに向かいます 思い切って出かけた二人だけの旅が、夫婦の燃えるような感情を蘇らせます。

その後、日露戦争が始まります。晶子の弟、壽三郎(ちゅうさぶろう)も戦争に招集されます。その時詠んだ歌が、かの有名な「君死にたまふこと勿れ」でした。

あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや

この詩が発表されると非難されますが、晶子は反論します。「歌は歌です。まことの心を歌わぬ歌になんの値打ちがあるでしょう。私は長い年月を経ても変わらぬ真実の感情をうたいたいと存じます。」情熱的な恋愛の喜び、肉親の無事を願う気持ち、晶子が歌ったのはまことの心でした。

また、晶子は柳原白蓮と同様に、女性教育に力を注いだ方でもあります。

結婚して30年あまり。晶子と鉄幹最後の月日を過ごした書斎、冬柏亭。晶子は最愛の夫、鉄幹を看取ります。晶子が鉄幹を悼む歌がとても情熱的です。

冬柏亭 ←冬柏亭

筆硯煙草を子等は棺に入る 名のりがたかり 我を愛できと(夫が愛用した品を、子供らが棺に入れる。でも、棺に入るべきは私。言い出すことはできなかったけれど、夫が何より愛していたのはこの私だから)

でもこの情熱の歌人たちは、私たちを虜にさせますね






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