日別アーカイブ: 2018年1月17日

1月17日

皆さま、こんにちは大阪市淀川区で「脱毛症の専門治療・下肢静脈瘤や眼瞼下垂症などの日帰り手術・美容治療」に力を入れているしんおおさかクリニックのスタッフ中尾です

6,434人が犠牲になった阪神・淡路大震災から本日で23年。地震が起きた午前546分、皆さまは何をしていましたか?

23年前、私は大阪の自宅で震災にあいました。あまりの揺れの大きさに飛び起きて、パジャマの上にコートを羽織り、近くのコンビニエンスストアまで走っていきました。真っ暗で、一人ぼっちですごく怖かったのです。コンビニエンスストアの前にはすでにたくさんの人が並んでいて、中には入れませんでしたが、明かりがついていて、ホッとしたのを覚えています。

翌日勤務先の病院で、ボランティア派遣の希望者を募っていて、私は真っ先に手を挙げて参加の意思を伝えました。でも、出発前日に「私に何ができるのだろう」「お役に立てるのかな」と悩んでしまい、不安で中々眠れない夜を過ごしました。

私が派遣されたのは、神戸市東灘区の民間病院。患者さまも病院のスタッフの方も皆さま被災者の方ですので、私たちは医療従事者の一員としてお手伝いをしました。12日の短いお手伝いでしたが、記憶にあるのは、スタッフの数が少ないせいもあってのことか、病院全体がシンと静まり返っていたこと。そして何より、病院に着くまでの神戸の街の景色です。道路は盛り上がったり陥没したり、家屋は潰れていて道路わきにはゴミの山。ただただ驚くばかりの光景でした。

この震災では倒壊した建造物の写真が多く残っていますが、亡くなられた方の死因の多くが建物の倒壊による圧死だったといいます。「クラッシュ症候群」。この言葉を知ったのも、阪神・淡路大震災でした。

看護師・災害看護講師である山崎達枝さんが、「災害看護と私」というレポートで、東日本大震災で現場に赴き活動する中、様々な角度から看護の役割について述べています。印象に残ったのは、この言葉です。

「災害発生後の被災地での活動は、五感を生かしたまさに看護の原点であり、その意味でナイチンゲールの看護がまさに災害看護の原点だと私は思う。

私たち医療従事者は、震災を忘れることなく、命と健康を守る活動を日々継続していかなければいけませんね。