行ってみたいな「氷上回廊」

皆さま、こんにちは大阪市淀川区で「脱毛症の専門治療・下肢静脈瘤や眼瞼下垂症などの日帰り手術・美容治療」に力を入れているしんおおさかクリニックのスタッフハマ子こと濱田です :lol:

いつものように新聞でネタ探しをしていると、「氷上回廊」についての記事がありました。私は兵庫県民なのですが、あまり詳しくなく興味深い内容でしたので紹介します。

まず氷上回廊」ヒカミカイロウてなに?というところなんですが、瀬戸内海に流れる加古川と日本海に注ぐ由良川をつなぐ(結ぶ)低地帯わすが95メートルで本州をまたぐことができる奇跡的な自然地形この特殊な地形によって、南からの瀬戸内海式気候と北からの日本海気候が出会い、生命が不思議に入り混じり豊かな文化と歴史が培われてきた土地が「氷上回廊」です。

旧石器時代はナウマンゾウの季節の移動道でした。弥生時代は物流の道であることを瀬戸内系のサヌカイト製石器が、南北へのモノの動きを示し、竪穴住居の形の変化も播磨の影響を物語っています。流れは一方方向ではなくて、弥生後期、石器から鉄器に切り替わると、物流ルートも北南へと変化し、土器や墓の形も丹波は日本海側の影響を受けました。

祭りも丹波篠山が京都系の鉾山なのに対して、氷上は播磨の屋台で加古川の舟運によるものです。

氷上回廊の緩やかな川の流れに舟運が開かれたのは約400年前。闘竜灘(加古川市)から河口の高砂、次いで上流の丹波・本郷までが物流の大動脈となります。下りは丹波と播磨の年貢米上りは塩や肥料や干鰯を積んで、高瀬舟が行きかいました。北前船の西回りルートで物資を輸送すると何日もかかり冬の日本海は波も荒く危険ですが、それに比べれば数倍安全な加古川と由良川の通船計画は何度もお上に出されましたが、幻に終わり、その後鉄道の開通によって舟運の役割はおえることになります。

しかし自然や文化の中に北と南の合流地点を証明するものがたくさん残っています。絶命危惧種のホトケドジョウは県内では丹波市だけにおり、ここが西限ですが、水系を超え、由良川にも加古川にも住んでいます。北のヤマメと南のアマゴの混生、六甲山に住むキベリハムシや、近畿南部のカンサイタンポポの北上も回廊伝いとみられています。

由良川は北へ加古川は南へそれぞれがそこを境に分かれて流れていく分水界を現地に行って感じでみたいなと思いました






DDまっぷ ドクターブログ 一覧