武道人の品格

2月6日の午後10時よりNHKで朝青龍の引退について、やくみつる氏・元横綱北乃富士・NHK司会者が対談をしていた。

 しかしその内容は的はずれであり、かつお粗末なものであった。

 まず朝青龍を引退に追い込んだ理由は横綱の品格に欠けたからだと言う事で意見が一致し、後の議論の前提となっていたが、それは大きな間違いである。引退しないといけなかった大きな理由は2つある。その一つは仮病を装って偽診断書を相撲協会に提出した職場放棄である。2つ目は明らかな傷害事件を起こしたという事実である。それは事件化していようが、示談により事件化していなかろうが明らかな犯罪であり、そのような前科者に神聖なる国技をさせてはならないのである。ましてや武道家の手は「神の手」であるべきものであり、それをもって一般人を傷つけるなど持っての他なのである。そこを誰も指摘しなかったのは全くもって的はずれとしか言いようがなかったのである。

 そのような拍子抜けの進行の中で次なる議論は「品格」についてのやりとりであった。司会者が「品格」の定義を出席者に求めたところ、3人の回答者はこぞって「見えない・はかれない・答えようがない」と答えていたのである。何の為のゲストだったのであろう。その程度なら誰でも発言できるのである。出演料を払う必要などないのではないか。

 「品格」は和英辞書には載っていない。「品」はeleganceと訳されている。しかし品格とはそんな軽いものではない。では「格」は何なのだろうか。自分はそれをdignity 即ち「威厳」と解釈する。

 勝負には必ず勝者と敗者がいる。即ち自分が勝者なら、相手は敗者。自分の存在は敗者の存在があっての上なのである。言ってみれば自分が今あるのは敗者のお蔭なのである。ある意味敗者に感謝の念を持つべきなのである。朝青龍について言ってみれば、その感謝の念は取り組み相手のみならず、そこ迄育ててくれた親方・部屋・相撲協会・多くのファン・日本の社会に対して持ち、そしてその長い歴史に深い感謝と畏敬の念を抱くべきなのである。大きな歴史の歯車の中では、たった一人の人間の存在など無に等しい事を謙虚に痛感すべきなのである。そして次に敗者の体と心の痛みに思いやりを馳せるのが必要なのである。更に自らの技と行動が世の光になるよう奉仕の心がなければならない。その「感謝・思いやり・奉仕精神」が揃ってこそ品格というものではないだろうか。自分が勝ったら「自分が一番偉い、自分より偉いものはない」等と考えてしまうと、その人はもうそれ以上進歩はしないのである。

 東洋の考え方ではもともと森羅万象全ての存在は同一平等なのである。その中で仏様に「お前は人間・お前は空・お前は山・お前は川」などと振り分けられただけなのである。従って人間社会もたまたま総理大臣役に当たったり、ホームレス役にならされたりしているだけの事なのである。従って「自分一人で偉くなった・世の中自分一人」などという考え方は東洋思想ひいては日本の国技とは相容れないのである。与えられた役柄をただ従容として受け入れ、かつその演技を最高に美しく演じないといけないのである。

 正直と謙譲の美徳を発揮してこその「品格」なのである。但し日本の中心にある政界自身が嘘と金銭で汚れきっているのでは、世も末としか言いようがないのであるが。

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(2010年2月10日 院長 八杉 誠)