アンリ・デュナンとオリンピック

 先日宝塚に赤十字の産みの親アンリ・デュナンの物語「ソルフェリーノの夜明け」を見に行って来た。一方家に帰ってみるとテレビでオリンピックをしていた。この二つの事は一見全く関係がないように思われるが、私はその二つに大きな共通の理念がある事に気付いた。

 赤十字の理念は敵味方なく人を助け、人類の幸福と世界の平和を願う事である。またオリンピックの理念も敵味方なく技を競い、戦争を回避し人類の幸福と世界の平和を祈願する事である。ところが今回の国母選手の騒動はこの根本精神を全く忘れてしまった発想から来ていると思われる。

 確かに国母選手の服装と態度は褒めたものではないし、私自身どちらかと言うと好きではない。しかし問題は彼が誰も殺してはいないし、誰の物も取っていないし、誰をも傷つけていないし、攻撃すらしていない「危険ない」存在にも拘らず、彼がひたすらしてきた努力を外力が潰そうとした事なのである。無害な人間の行く手を遮り、将来を閉ざすような事を何故他人がしなければならないのか全く理解できないのである。出場停止どころか召還などもっての他なのである。攻撃性の全くない人間に対して、自分と異質な存在だというだけで何故そのような攻撃をしないといけないのか全くおかしいのである。そのようなところに諍いと争いが生まれていくのである。戦争回避を目的としているオリンピックで争いを作り出してどうすると言うのだ。オリンピックは異なった国・人種・習慣・服装の人間が集まり、お互いが認め合い許し合い、歩み寄り平和を追い求めるのが目的なのではないか。処罰を求める人は形ばかりを考え精神を忘れているのである。

 世界は大きく変わっている。世界の首脳同士すらノーネクタイで会談するご時世である。進んだ国では小学生でも化粧を自由にするとか言う。バンクーバーの大通りのオブジェは、丸めた紙くずを人の背丈もある金属で形作って堂々と置かれているのである。今時何が正しくて、何が間違っているのか誰も偉そうに言えないのである。害がなければ何でもそっとしておいてやるという広い心が必要なのではないか。処分はまるで国民総動員を発令し国防服を皆に着せようとしているような発想のようだと思うのは考え過ぎであろうか。出場辞退を申し出たスノボ協会のお偉方は、アバクロやホリスターを知っているのであろうか。

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(2010年2月20日 院長 八杉 誠)