ダマラさんの法要に参列して

日本人の奥さんと結婚して阿倍野区で半年前にネパール料理店を開店した、ビシュヌ・プラサド・ダマラさんが、去る1月16日未明阿倍野区の路上で4人の日本人に何のゆわれもなく突然襲われ、逃げ惑った挙句撲殺されてしまった。原因は人種差別だと言われている。

逃げ惑うダマラさんに大勢で殴りかかり、逃げようとよろけるダマラさんに更に殴る蹴るの暴行を繰り返し、しまいに自転車まで投げつけて、起き上がれないように迄する一連の行為は防犯カメラに収められ、繰り返しテレビ・新聞で報道された。事件を知った浄土宗の僧侶達はダマラさんの冥福を祈って2月25日に法善寺で法要を営んだ。日本に溶け込もうと努力していたダマラさんに対して、4人が行った暴力(犯罪)を私は同じ日本人としてこの上なく恥ずかしく思い、大きな謝罪の念にかられて、いたたまれずに法要に参列した。

人種や文化の違い、男女や生まれつきの姿形で差別するというのは、同じ人間として絶対に許されない行為である。つまり他人を差別することにより、自らの人格の低さを世間に露呈していることに気付かないのである。まして、差別だけでなく、エスカレートして他人の一生を奪う殺人は、絶対に許されない行為である。特に今回のような動機(人種差別)による殺人については、厳しく裁かれるべきだと思う。

さて当日は同行してくれた当院の婦長と一緒に道頓堀から法善寺横町に雨上がりの道を歩いて行った。法善寺に着くと、通りの賑わいとは裏腹に法要の参列者は少なく、とても寂しいものであった。表通りには、雨の上がるのを待っていた若者達が大勢繰り出してきて、春を謳歌していた。大量に報道がなされたので、多くの人が私と同じように関心を持ち、お参りに来ることを多少期待していたのだが、今の日本人にそれを望む方が無理だったのかもしれない。目の前で、大騒ぎしながら遊んでいる多くの若者を見つめながら、本当にこれからの日本は大丈夫なのかと一抹の不安を覚えるのであった。(犯人だけでなく、近くで不幸な出来事があっても自分には関係ないと、見て見ぬふりをする今の日本人も同様に罪がないとは言えないのではないか・・・・。)