あさましい烏合の衆   尖閣・竹島問題をめぐって

尖閣諸島・竹島はいずれも日本のものではない。しかし中国・韓国のものでもない。それらは永年にわたって神または自然が作り上げた、われわれ全人類へのプレゼントなのである。そしてついこのあいだまで日本も中国も韓国もまるで関心を払っていなかったのみならず、所有権も主張していなかったのである。それが僅かな石油が出てきたというだけで途端に醜い分捕り合戦を繰り広げだしたのである。

自分はこのバカ騒ぎを見ていて愚かな一族の遺産相続争いを思い出す。すなわち親が生きている間は喧嘩もせずにいたのが、親が死んで財産が残ったのが分かった途端に醜い取り合いの争いを始めるという、よくあるシナリオである。自分は何の努力もせずに親の力で貯まった物を欲しがるという、実にあさましい醜い姿なのである。

本来一部のつまらない国民が島を欲しがって騒いでも、双方の争いが大きくならないように、国民をなだめ平和的解決を図るのが賢い指導者の姿ではないか。どうしても境界線が必要ならば島の真ん中に線でも引けばすむ話である。ところが国内の人気取りに走って国民をたきつけるような事をしているのが各国政治家の現状である。そのような国のトップには信頼して付いていくに耐えないのである。

そもそも島にせよ金鉱にせよ石油にせよ、所詮誰も努力して作り上げたものではない。以前は植民地政策のように列強がこぞって地球資源を手に入れようとしたが、今やこのグローバル時代。すべての資源は全人類で共有するのが新人類のすべき事ではないだろうか。社会主義ならぬ、世界主義とでも言うか。

あるいは二次大戦中日本軍は韓国・中国に多大な迷惑をかけた事が尾を引いているのかも知れない。確かに日本の教科書にその過ちを殆ど載せていないのは反省が足りないのかもしれない。しかしだからといって、戦後処理がすべての国の立会いのもと終わっている今、個々の事例について改めて補償あるいは代償を払えというのは、余りにも弱い者いじめに過ぎない。アフリカは奴隷補償をアメリカに求めるだろうか。植民地時代の補償を被植民地は求めるであろうか。広島・長崎の被害補償を現地の人は叫んでいるだろうか。シベリア抑留の補償が話題に上ったことがあるであろうか。

今の時代全世界の人類が和と協調の下、仲良く暮らしていくのがインターネット時代の新人類の歩むべき道なのではないだろうか。その為にも各国民を正しい方向に導いていける賢い指導者が欲しいものである。