あなたはワンチャンとどう接しますか?

「自分はずっと以前から多くのワンチャンと暮らしてきた。」

この一行に既に私のワンチャンに対する気持ちがふんだんに盛り込まれている。

まず自分はワンチャンのことを決して「イヌ」とは言わない。イヌという言葉は差別的であり、いかにもワンを見下しているのである。また「飼っている」とも言わない。なぜなら「飼う」というのは、こちらがワンにエサを与えているだけという、一方的な上下関係を意味するからである。とんでもない、こちらはワンチャン達からどれだけの愛を受け取ったであろうか。どんな人間からも受け取れなかった、真に純粋な無償の愛をどれだけ受け取ってきたであろうか。朝夕あげる「ごはん」の何倍何十倍何百倍何千万倍のお返しをいただいてきたのである。それを「飼う」などと誰が言えようか。むしろこちらが多くのものを受け取りながら「一緒に暮らして」きたのである。

現在たった一人(一匹などという差別語は我が家では禁句。人権を認めて一人、二人と呼ぶ)になったミルキーはいまや8歳の老セイントバーナードで、そろそろ足元がおぼつかなくなり、「お座り、待て」も彼女にとっては難儀なので、容器に入れたご飯はすぐ「よし食べて食べて」と言ってしまう次第である。

ところが先日ある患者さんと雑談をしていた時である。その患者さんは私のワンの扱いは間違っていると言い出したのである。その人によると「犬は犬、人間は人間」だというのである。必ずイヌの上に飼い主を置かなくてはいけないと言うのである。確かに物理的に言うとそうかも知れない。しかし自分はなぜか何に対してでもそのような支配的な態度を取れないのである。「犬」に対してそのような考え方の出来る人は他人に対しても同じように支配的になるのではないかと危倶するのである。

自分は他人から支配されるのも指図されるのも大嫌いなのである。従って自分も他人を支配しないし指図もしないのである。また身動きが出来なくなるような集団に入るのも大嫌いである。根っからの自由人なのである。これは私の大学時代のある恩師の「男子たるもの徒党を組むな」という教えでもある。

私のそのような心理状態は職場においてでもそうである。私は職員に対して決して支配的な態度を取れないのである。それは私の医学的知識が彼女達より劣っているからではない。私の医学的知識の豊富さと経験の多さ、決断力の早さ真面目さは彼女たちは日常診療を通じて充分知り尽くしてくれているのである。しかし自分が一番偉いと自負する人は、もうそれ以上成長出来ないと私は思うのである。彼女達からでも何か学びたい、何かを得たいと常に思っているのである。実際自分が偉そうにしてしまっていると、何かを聞きたい時でも簡単に「教えて」と言いにくいではないか。「たわわに実った麦は穂を垂れる」のである。

また自分が指導している空手道場においてでもそうである。弟子達に対して自分は決して支配的な態度は取らない。指導しながらでも何か彼らから得るものがないか、常に探し続けているのである。自分が一番強い、一番うまいと考えてしまっては、もうそれ以上強くもうまくもなれない。またいつでも自分が上にいないといけないと考える人間は常に他人との間に不安を抱き、テンションとストレスの中からいさかいを生み出してしまうのである。

何にせよ自分はうちの子達に怒った事も、まして叩いたりした事等全くない。どんなにしても自分より早く死んでしまうであろうあの子たちに、どうしてきつく当たれようか。毎日家に帰ると誰よりもまっさきに走ってきては、オシッコをたらさんばかりにキュウキュウキュンキュンと言って喜んでなめ回してくれる我が子は、ある意味実の子達より大事にしてやらなくてはならないのである。人間の子なら虐待や捨て子をしても、社会が必ず救済の手を差し伸べるが、ワン達は自分が守ってやらなくては誰も守ってやってくれないのである。親不幸と言われるかも知れないが、親の命日はうろ覚えだが、3人のワン子達の命日はきっちり暗記している。親にはおよそ線香を揚げたりはしないが、ワン子達の仏壇には毎日4回ずつ線香を揚げ、水も毎日欠かさず換えてその都度亡きあの子達に話しかけているのである。親を無条件に信じ、無条件に従い、無条件に愛する事の為だけに生まれてきてくれたこの子達の為なら、何でもしてやらないと思うのは当然なのではないだろうか。妻や実の子でも一度や二度ならず、私を疑い、または逆らってきたのである。

全ての人がワンに対するような優しい心を持ち、互いに対する無欲な奉仕精神を持ってくれるなら、この世は平和で真の豊かさを味わえると思うのであります。出来れば墓はワンたちと一緒に入りたいのですが、どなたか良い方法を教えていただけませんでしょうか。