日本脳炎ワクチン

まだまだ供給は戻っていませんが、今回少しまとまった数の入荷があり、土曜日に新たに枠を空けています。なお、今まで土曜日は院長の先輩である野村先生という女医の先生に手伝って頂いておりましたが、先生が6月から大阪市阿倍野区で開業されることになり、今後当分土曜日のワクチンも全て院長が行います。ワクチン時に診察、処方希望の方はWeb問診にその旨を記載して下さい。紹介がいるなど、時間のかかる診察は困難なため、後日改めて受診して下さい。


感染対策と暑さ対策のバランス

まだ4月だが、昼はすでに暑くなりテントでも汗をかきかき診療している。

これから本格的な夏が来るにあたり、感染対策として守るべき部位はしっかり守りつつクールビスをつきつめると、カンダタという一つの完成形に行き着く。

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明日からこれで闘う。


御先祖様たち

学校で歴史を学ぶと、どんな時代にも実は間違いなく自分の祖先がいたことに気づき結構びっくりしますよね。

ずっとずっとどこまで遡っても、必ずどこかにいて生活していたという驚きの事実。

さて、関ケ原の合戦でわちゃわちゃやってるまさにその頃、一体自分の御先祖様達はどこで何をしていたのだろうと想像力を働かせる時、きっとみなさんの頭の中では自らにそっくりな顔した甲冑姿の侍だったり、着物を着た町娘が生き生きと動いていることでしょう。

しかし、よく考えてみると自分の親は2人いて、祖父母は4人いて、曾祖父母は8人もいて、その上は16人もいて、、、ん、ちょっと待って御先祖様ってぶっちゃけ数やばくね?っと気づきますね。

昔はもっと早かったでしょうけど、少なくとも25年ごとに一世代進むとして100年で16倍。

関ケ原程度の昔でも65536人、大化の改新あたりでは「チーム久保の御先祖様」半端ない数です。

もうその頃一族でほぼ国支配してた系ですか、これ?

逆に言うと、私一人を製造するのにものすごい数の人たちが必要で、かつその登場人物たちが絶妙なタイミングで出会って次世代にバトンを渡していくというまあ控えめに言って奇跡の連続があったはずだな、と。

その結晶が私だと。

自信を失いかけた時、いつもこのことを思い出すともうちょいがんばってみようと不思議と力がわいてくるのです。


徒然なる隔離記録

先々週の一週間、次男からスタートのコロナで久保家は自宅で引きこもり生活を送っておりました。(患者さん、地域の先生方にご迷惑をおけけして大変申し訳ありませんでした。)

私も積極的に感染を目指し家族単位でオミクロンの免疫をつけるという作戦もだいぶ検討しましたが、クリニックの休診期間が2週間を越えるだろうことを考えると断念し、家庭内隔離で感染を免れました。

結局小3の次男から始まり、中1の次男、奥さんと、私以外は感染してしまいました。

オミクロン株の感染力は相当なものです。

子どもたちは半日程度の熱で終わり、10日の隔離期間をいかにやり過ごすかが苦心の種でしたが、奥さんは38度台✕3日間の後、味覚障害を発症してしまいました。

感染者の5%程度に起こると言われるこの味覚障害ですが、命に関わるものではないとはいえ、相当メンタルへの影響は大きく、奥さんもだいぶふさぎ込んでいました。

約3週間が過ぎ、ずいぶん回復しましたが1年後にも症状の残る方は0.5%と実に10人に1人は長期間苦しんでおられるようです。

このあたりが、気軽に「若い人は重症化しないからさっさと罹って免疫をつけた方が活動しやすいですよ」と全員にアドバイスできない理由になります。

私は子どもたちの世話を奥さんに任せ個室で家庭内隔離の1週間でしたので、ずいぶん負担をかけてしまいました。

ただ、1人で隔離生活というのも聞いていた以上に大変で、特に社会から隔絶されているという焦りは苦しいものでした。

休みとは言えコンビニ一つ行けないという、大げさに言えば人権を奪われている感覚は、なかなかの辛さがありました。

しかし、感染を終えた息子たちと奥さんはオミクロン優位の数か月の間だけは少し活動しやすくなったことは事実です。

体調に気をつけながらですが、じいじ、ばあばと一緒にご飯も食べることができるでしょう。

このように、感染することはショックで色々なマイナス面がありますが、罹った後には免疫を一段階鍛えられるというのは他のウイルスと一緒です。

また次の株が流行するまでだけの期間限定ですが、感染する確率、他の人にうつしてしまう確率がだいぶ低くはなりますので、息子たちは大好きなじいじ、ばあばのおうちに久しぶりにお泊りに行かせようと思っています。

私は感染を免れたので引き続き集まりには参加できませんが、子ども達が少しでも子どもらしいイベントに参加できるのはうれしいことです。

お子さんが感染してしまったご家庭でも本当にその期間は大変ではありますが。何とかポジティブに考えて頂ければと願います。

 

おまけ

私はマンションの10階に住んでいるのですが、数日分まとめて厳重にしばって感染対策したごみを下まで持って行くという数少ないミッションを奥さんから任されておりました。

感染している可能性が否定できないのでエレベーターが使えませんから外階段をえっさえっさと降りていくわけです。

「おー外の空気♡」と満喫するのもつかの間、地獄の昇りの試練でぜーぜー言いながら家にたどり着き、「にっくきコロナ」への思いを新たにしたのでした。


赤さん日記

一日中観察しても飽きない生まれて間もない我が子。

今回は息子たちが赤さん(赤ちゃん)だった頃の考察からの抜粋(現在我が家には赤さんはいませんが)。

 

おむつを替えて欲しくて泣く赤さん

←わかる。

 

抱っこして欲しくて泣く赤さん

←よくわかる。

 

お腹が減って泣く赤さん

←めっちゃわかる。

 

注射されて泣く赤さん

←めちゃめちゃわかる。

 

眠くて泣く赤さん

←わからない。はよ寝ろ。


コロナ禍2年

オミクロン株が完全にデルタを駆逐し、世界中を一色に染めています。

感染症の世界では、重症化させるウイルスが覇権を握るわけではなく、感染力が強いウイルスが幅を利かせます。

デルタの時ですら日本の小児の重症例は皆無に近かったですが、デルタで厄介だったのは30代、40代の元気な人達が急に悪化する事例が相次いだことです。

軽症で自宅待機していた基礎疾患のない働き盛りの患者さんが突然重篤になり、数は多くはないですが死亡例も発生しました。

オミクロンに関しては感染力にパラメーターを集中させたような株で、先に大流行した他国のデータや、一気に蓄積した日本国内の情報を基にすれば小児や若年層、基礎疾患や肥満のない働き盛り層で医学的に入院が必要な例は相当少ないと言えます(ただし医学的な扱いは軽症とは言っても高熱が数日、ひどい頭痛や咳など他のかぜより相当しんどいという認識の方は多いので注意)。

ただ、そのような自分自身は大ごとにならないだろうという人の周りには自分の祖父母、場合によってはひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、また医療や介護で高齢の方に日常的に接する人が社会には大量にいて、つまり「うつしてはいけない人」がすぐそこにたくさんいるということは肝に銘じておかなくてはなりません。

 

日本のような先進国は、「命は何よりも尊い」という、正しいのだけれど他の議論を一切封じるような理想論がはびこっていて、トータルとしてどっちの選択肢の方が被害が少ないかという検討を非常にしにくい風潮があります。(いわゆるコスパの議論も非常にしにくい)

コロナを高齢の方や、基礎疾患のある方にうつさないように皆で全力を尽くすということはとてもとても大事で疑問の余地はありませんが、実際にそのような方をサポートする実働部隊は若い世代なのです。

今、大量の元気な働き世代の人が、「濃厚接触者」というレッテルのため長期間元気に自宅待機を余儀なくされています。

その反動として今目の当たりにしているように、社会が機能停止寸前に追い込まれ、再び教育がその歩みを止めています。

 

コロナが最初流行し始めた時から我々日本人は崇高な意識から、早い収束のため多大な我慢と努力の元、今この瞬間も世界で最も死者の少ない国の一つであり続けています。それは近い将来、コロナが終わる日が来ると信じていたからです。

ところが皆さんがとうに気づいている通り、コロナは完全な終息というのはありえない感染症です。

withコロナの社会を本格的に考える時期に差し掛かっているように思われます。

私は医師として、そしてクリニックのスタッフは医療従事者として、ありがたいことに2年間日常生活で公然と差別を受けるようなことはありませんでした。

むしろ、たくさんの気遣い、励ましのお言葉を頂き、そのたびに勇気を奮い立たせて頑張ってきました。

しかし、スタッフにも私の家族にも皆さん同様、2年間本当にたくさんの制限、我慢を強いてきました。

医者の妻だから、息子だから、医療者の家族だから、「今はガマン」。

「お友達の家に遊びに行ってもいい?」という息子からの質問に、「もう少ししたらね。あと少しだけ。」そう言って忍耐を求め続けた2年間。

いつしか私が困ることを理解した息子たちはそうしたお願いも言わなくなりました。

このコロナ禍の間、「命は何よりも尊い」ことを知り尽くしている医療者であるからこその苦悩と、ずっと格闘してきました。

これからもこの状況が続くなら、2度と帰ってこない息子達の貴重な時間や失われ続ける経験はどうなるのか。

医者として父として、夫として何が正解なのか。

そんな葛藤と戦いながら、またテントでの1週間が始まります。


コロナ検査について 1/19時点

オミクロン株がこの一週間で急速に日本に広がっています。他国のデータを見ればデルタに比べて重症化率は1/3程度となり、一方で感染力だけはピカイチなウイルスと言えます。引き続き日常生活を送れるような元気な小児にとっては脅威の感染症ではないと言えます。

莫大な数の検査が発生し、保健所、検査機関がパンクしています。当院もいつまで診療を行うことができるかあやしい段階です。今まで再三再四申し上げているように、電話で質問にお応えできる状態ではないので、現時点での当院での検査基準をお伝えします。なお高校三年生までを対応します。

まず、熱のない児には検査を行いません。濃厚接触者であってもです。「検査しないといけないと仕事の方で言われて」、「赤ちゃんがいるので心配です」などなど色んなバックグラウンドがあろうかと思いますが、病院はしんどい患者さんの対応をする場所であり、元気な人をみる余裕は全くありません。希望があれば無料検査場などへ行って下さい。

逆に38度以上の熱の児は原則抗原検査(15分程度で出る)をやり、陰性でもあやしければ外注で2.3日かかるPCRを提出しています。それより低い熱の場合はケースバイケースで、文書や電話ではとても伝えることはできませんので、診察した上で判断します。

ただし熱があっても、すでに集団でのPCRを行い結果待ちの状態の場合は検査しません。早く結果を知りたいからという理由での受診は絶対におやめ下さい。

検査キットも日本中で枯渇しそうな状態で、念のためや心配だからというお気持ちは分かりますが、優先順位をつけて配分する必要があり、その判断は私が行います。希望に沿えないことが非常に多いことを理解頂いた上で診察予約をしてください。

 

 


子育てその32電話

塾から帰ってきて算数のプリントを忘れたのに気付き、これも練習と自分で電話をかけさせられることになった次男(小3)。

「あのー、えと、小学校三年の久保です。あー、算数の、プリント?忘れて、忘れたかもしれないので、机を確認お願いします。」

おー、頑張ってる頑張ってる。

「あ、ありましたか。じゃあ、あのー、今から取りに行くんで。」

結構やるやん。成長してるんやなー。

「だから、あのー、プリント置いといてくだせぇ。」

最後突然、謎の下民に変身し超へり下りマックスで電話終了。いつもオモロ。うちの自慢の次男。


親戚のおっちゃん

この10月1日を持って、クリニックも創設9年を迎えました。

最初の頃に赤ちゃんでお会いした子ども達も、小学校の中学年以降になってますので、月日の流れを感じます。

小児科医は、子ども達の人生のかなり最初の方に密で関わります。

例えば1歳までにワクチンだけで5回は顔を合わせますし、保育園や幼稚園にデビューした最初の1、2年は頻繁に風邪をひいたり熱を出したりしますから、うんざりするくらい私の顔を見た親御さんがも多いでしょう。

しかし集団生活に入って2、3年もすれば免疫は驚く程に強くなり、会うことがめっきり減ります。

年長さんのMRワクチンで「お久しぶり!」なんてこともよくありますね。

成長した子ども達を見るのはとても嬉しいことです。

さて、こんな風にお久しぶりな子ども達の中には、私のことが全く記憶にない子もいます。

それもそのはず、小さい頃あんなに頻繁にクリニックに来ていたけれど、物心ついてからは初だったりするんですから。

「〜君、大きななったなー!」とか、「〜ちゃん、えらいなー。昔は注射であんなに泣いてたのに(笑)」などと、こちらが一方的にお母さんやお父さんと思い出を語っている間、本人はキョトンとしています。

医師は、病気のことだけでなく、ある程度おうちの中の事情や日常の生活も聞かせて頂くことがあるので私側には顔を見るだけで一杯の思い出が蘇るのですが、これはまさにたまに会う親戚のおっちゃんのポシション。

大人達が、自分の知らない自分の小さい頃の話で盛り上がっているというあの何とも言えない、微妙な居心地のあの感じを子ども達に味わせていると思うけど、ごめんねみんな。

引き続きお節介なおっちゃんでいる所存です。