夢について

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ダサめのタイトルではありますが、明日にきらめけ 夢にときめけ的なことをこれから語ろうとするものでは無い。

「夢は願えば実現する」「努力をすれば必ず報われる」などをうたった書物が本屋にはあふれかえっている現状。しかも一流スポーツ選手などの著名な方が執筆者であれば説得力は絶大。

公共の場において前向きな言葉の本が陳列され健全であるようにみえ相応しいかもしれないが、私見では賛同出来ない部分がある。

確かに、夢の実現への願いの執念が強く、その執念が行動や習慣を起こし、さらに努力を重ね、夢を達成する方向へとベクトルは向かうため立派に夢を実現させる人はいるだろう。

しかし、いくら必死に人の何倍も努力をしても残念ながらおよばず、夢が実現していない人も世の中には確実にいるし、むしろ実現していない人が多数派ではないか。

私自身、バレーボールが好きで学生時代は本気で打ち込んでいたし、将来はバレーボール選手になりたいと考えていた時期があった。休日返上で練習や遠征に出向き、自宅でも可能な限り跳躍力をつけるためにトレーニングをしていた。身長を1cmでも伸ばすため、すがる思いで牛乳をがぶ飲みしてはお腹をしょっちゅう壊していた。

身長の伸びが落ち着き、跳躍力の強化も頭打ちしだした頃、いくら必死にプレーをしても自分より身長が10cm以上高い選手にはどうしてもかなわないことを痛感した事があった。

身長に関してはやはり遺伝的要素が強く私は「カエルの子」であり「トンビが鷹を産む」ことは無かったわけですが、他方では努力しなくても自然と身長が伸びる人はすくっと伸びるし、それらの人は私が必死で努力し習得できなかったことをいとも簡単にひょいとやってのけ私が苦労したハードルを簡単に越えていってしまう。無情であるが、世の中には信じられない才能をもともと持っている人がいるということ。

高校球児も甲子園出場という夢実現のため日々努力をし、特にその燃えるような執念自体におのおの大きな差があるとも思わないが、一部の強豪校を除くそのほとんどの球児は甲子園の地を踏む事は無く、高校生活を終える。努力が足りなかったと悔やむ。本当にそうなのか。それはそもそも、入学時にさかのぼり甲子園出場出来る確率の高い高校選びのウェートが大きい。

書店では「死ぬ程努力したのに夢が実現しなかった人」が執筆した本は読者の興味をひかないため売れない。しかし、「努力しても叶わないことがあること」を早い段階で知っている事の意味は大きいと言わざるをえない。冷静に分析をし、方向転換が出来る。逆に人生の早い段階で夢を実現した人をみるとその後の人生が心配になることがある。大きなお世話かもしれないが。

結果、答えとしてはそんなに好きな分野じゃないとしても、自分が得意な事、なんとなくもともと人より出来る分野に身を置き努力するのが近道。好きな事を趣味として楽しむのはおおいに有意義なことですが。

私が研修歯科医時代の同期で友人の研修歯科医の一人が、歯科医になったはいいが意に反して手が震えて治療出来ないと悩み、もともと手が不器用なほうなんだと言ってきた。確かに「手が動いてなんぼ」の歯科医師という職業では手が震えるというのは死活問題である。そこで彼がとった行動は、歯科医に見切りをつけたうえに持ち前の頭のよさを生かして猛勉強し、何と医学部に編入しなおし、現在は見事に医師としての道を歩んでいるのです。見事で華麗すぎる方向転換をみせてもらった。彼は自分が勝てる可能性の高いフィールドでの勝負を選んだ、ということです。

気がつけば人より出来る分野があれば何でもいいので、掘り下げてみたらおもしろいのかも。自分は何が得意かな〜◎

最初の写真は本文とは無関係の歯ブラシです。待ち合いに陳列していますのでどうぞ見てみて下さいね。わからないことはスタッフまでお尋ね下さい♫






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