五月病  5月24日

五月病、これは今ではもう誰にもよく知られた言葉です。1960年代に東京大学の大学関係者が使い始めた言葉とのことです。4月からの新生活に何とか慣れたものの、この時期になって少し気分が落ち込んでしまってくる状態といえるでしょう。新生活の疲れがゴールデンウィークの頃に一気に出現し、体の不調を来たすというものです。その原因は新しい環境に十分に適応できないためとされており、医学的には適応障害といわれる状況といっていいでしょう。たしかに5月になりますと五月病かなと思われる人が外来を訪れます。ですから五月病のことをていねいに患者さんに説明する日が続くということになるわけです。五月の爽やかな鯉のぼり写真1)とは対照的に人の心は落ち込んでいることにも配慮すべきなのでしょう。それにしても人間の心身というものは丈夫でもあり、その一方でデリカシーの高いものだと思う昨今です。

このように感じる時には、不思議と昔自分が出会った患者さんのことを想い出します。臨床家には誰にでも心に深く残る患者さんが何人かいるものです。その患者さん達は常に励ましの原点になっています。こんなことを考えていた時に順天堂大学の天野教授(天皇陛下の心臓手術をした外科医)が1人の子どもの患者さんに教えられたというエピソードを偶然読みました。この子どもさんは結局、病魔から助かりませんでした。しかし天野教授に色々と言葉を残して逝きました。同教授は、その言葉に励まされ、押されるようにして今日まで臨床医として頑張ることが出来たと話されています。このように高名な教授にも心に残る患者さんがいるのです。

ところで開業医が勤務医と違うところのひとつに「患者さんが自分の居住地域のすぐ近くに住んでいる」という点があげられます。勤務医の場合、患者さんは遠方に住んでいる方が大部分であり、患者さん本人ご家族も含めて)に街で出会う機会は滅多に無いでしょう。特に大都会の勤務医の場合は、町の中で患者さんと出会うことは皆無でしょう。ところが開業医の場合は、それこそほんの少し近所に外出しただけで患者さんに頻々と出会うものです。たとえ直接出会わなくても患者さんの家の前を1日に何回も通ることもあり、その都度患者さんのことを想起することになります。現在通院されている患者さんよりも亡くなられた患者さんの家の前では思いはいっそう深まるものであります。

これはもう20年ほど前の話です。その方は高齢で1人暮らしをされていた御婦人の患者さんです。御主人を亡くされた後、子どもさんがおられないので常に御自分の行く末を案じておられました。しかし次第に目が悪くなられ歩行困難も出現し、ついには通院も困難となってこられました。今のように介護保険制度もないため、本当に日々の生活は大変でした。ある日の朝「足と目が悪いので総合病院に入院したい」との電話が御本人からあり、その病院宛てに紹介状を書きました。紹介先の病院からは入院した旨の返事はあったものの、その後は特に連絡はありませんでした。「どうされたものか?」と案じていましたが、身寄りの人が誰もおられず、聴き合わせの出来る人もおりません。徒に時が過ぎゆきていきました。ところが2年ほどたったある日突然、同婦人の自宅が取り壊され、跡地に新しい住宅が建てられました。現場の建築関係者に「前の住人の人は?」と聴いたところ「亡くなられた様ですよ、だいぶ前に」との返事が返ってきました。結局、何も分からずじまいでした。今もその自宅跡を通り、患者さんを偲び、日常診療に全力を傾注したいと考えているところです。

新しい薬については自らがその薬理作用や副作用を十分に理解してからでないと患者さんへの処方には踏み切れないものです。そのため新薬については常に知見を得ることが必要であります。もっとも新しい知識が広がることは、結構楽しいものです。というわけで今回は脂質代謝の新しい薬剤について少し勉強をしてみました。

いわゆる悪玉コレステロール(以下LDLLow-density lipoprotein)を下げる新しい薬剤が本年4月に発表されました。その薬剤の名はエボロクマブといいます。以前からこの新薬剤の情報を断片的には見聞していました。ただその作用機序は、正直少し分かりにくく、親しみが持ちにくいものでした。そこでまず脂質代謝異常つまり高コレステロール血症について改めて復習することにしました。踏み込んで学んでみると結構奥深い薬剤であることが理解できました。

高コレステロール血症においてはLDLが最も注目されています。それはLDLが動脈硬化を進行させ、心筋梗塞や狭心症の発症リスクを上昇させるからです(図1)。ここにLDLが悪玉といわれている所以があります。約20年前にスタチンという薬剤が出現し、実臨床で広く使われてきました。これまで高コレステロール血症に対しスタチンはある程度の治療成果をあげてきたところです。本当に発売当初は日本での開発薬でもあり、画期的な薬剤という印象を受けました。スタチンにより高コレステロール血症の治療は一変したのです。現在でも基本的に第一選択剤であります。しかし一部の人、例えば糖尿病の人、特に遺伝性・家族性高コレステロール血症(以下FH:Familial Hypercholesterolemia)の人ではLDLを低下させることは大変困難なのであります。そこへ登場したのが今回の新しい薬剤であるヒト抗PCSK9モノクロナール抗体製剤・エボロクマブです(以下 PCSK9pro-protein convertase subtilisin kexin 9。現在、スタチン登場を第一幕とすれば、エボロクマブの登場は第二幕と評価されています。

 

PCSK9について紹介する前にまずはFHをよく理解しておく必要があります。これはPCSK9FHの治療に欠かせないからです。FHは遺伝的にLDLを処理できない先天的な病気であります。簡単にいいますとFHの人ではLDLを処理するLDL受容体に遺伝的異常があるためLDLが高くなったままになっているのです。そのためFHの人は若くても動脈硬化を発症し、心臓死されることが多いのです(図2)。またFHにはホモとヘテロ接合型があります。ホモ型の人は100万人に1人と少ないのですが、ヘテロ型の人は500人に1人と多いのです(図3)。すでにFH診断基準も示されており、注目されつつあります(図4)。ただ問題なことは、FHの人は思っているよりも多くおられ数百人に1人くらい(日本全体で約60万人)と推定されていること、家族に1FHがいると他の家族にもFHがある可能性があること、さらに大部分のFHの人は治療を受けていないということがあげられます。このような問題があるというわけです。つまり日常臨床では誰しもがFHをもっと考慮すべきなのであります。さらに治療については新薬のエボロクマブが予後を改善する可能性があることを理解する必要があります。

先ほども言いましたがエボロクマブの作用機序は少し分かり難いものであります。簡単にいいますとスタチンを服用するとコレステロールの生合成が低下し、LDL受容体の産生が増加します。この増加したLDL受容体はLDLを取り込むため血中のLDLが低下します。ところがスタチンは同時にPCSK9という酵素をも増加させ、このPCSK9がLDL受容体を分解してしまうのです。するとLDL受容体がLDLを取り込まなくなるので最終的にはLDLが上昇してしまいます。つまりスタチンを服用してもさほどLDLの下降が得られないということがありますが、これがその理由であります5の左)。ところが今回登場したエボロクマブは、PCSK9を阻害するのでLDL受容体は分解されないのです。そしてLDL受容体がLDLを取り込み、ここにLDLが低下するというわけです(図5の右)。

特にエボロクマブの投与が必要な方はFHの人であります。心臓疾患のリスクが高く、現存のスタチンでは効果不十分な人には大変有効です。そのような人のための投与は2週間から4週間の間隔で皮下注射をすることになります。効果は図6のように有意なLDL低下が得られるものでした。これまでのところ重大な副作用はないとされています。

一般に新しい薬剤は(薬剤に限らず、臨床医学一般についても)小診療所ではただちに安易に導入することは不適切です。それでも十分な研賛をした上で患者さんに還元することは大切と考えています。

160524 1写真1 爽やかな鯉のぼり

 

160524 2
1 LDLが高いと心筋梗塞のリスクが高くなる
レパーサによる治療を受けられる方へ
 アステラス製薬株式会社 アステラス・アムジェン・バイオファーマ
株式会社のパンフレットからの引用

 

160524 3
2 FHの人では若い頃から心血管病が多い
アステラス製薬株式会社 アステラス・アムジェン・バイオファーマ
株式会社のパンフレットからの引用

 

160524 4
3 FHの遺伝  ホモとヘテロ接合体

 

160524 54 FHの診断基準
家族性高コレステロール血症(FH)のおはなし
アステラス製薬株式会社 アステラス・アムジェン・バイオファーマ
株式会社のパンフレットからの引用

 

160524 6
5 エボロクマブの作用機序
  ――|は抑制することを示す

 

160524 76  エボロクマブは有意にLDLを低下させる
レパーサ総会製品情報概要からの引用
アステラス製薬株式会社 アステラス・アムジェン・
バイオファーマ株式会社のパンフレットからの引用)