梅雨で読書三昧 6月10日

新緑の5月が過ぎると梅雨の季節がやってきます。この時期は気候が穏やか(暑くも寒くもない)ということで体調を崩される方が少ないようです。そのため診療所を訪れる人も少なくなり、外来業務に少し余裕が出てきます。ですから普段はできない大掃除、書類整理、はたまた必要物品の購入等々に精を出すこととなります。また梅雨模様になると外出は面倒になるため、医学書の乱読をする日々ともなります。ただ医学書だけでは少し頭が疲れてしまいます。そこで一般書にも目を通し、気分転換をはかることになります。今回、何冊かの一般書を乱読しました。このうち印象に残った2冊を紹介したいと思います。

 

一冊目は「逸翁自叙伝」(小林一三著、講談社学術文庫、写真1)です。著者の小林一三(18731957)氏は知る人ぞ知る阪急電鉄の創業者です。関西人であれば、たとえ小林氏の名前を知らなくても阪急電車の創業者といえば何となく尊敬を抱く人物でしょう。関西出身の人と思っていましたが、実は山梨県生まれの人ということを今回初めて自叙伝を読み知りました。上京し明治21年に慶應義塾大学に進学し、卒業後に三井銀行(現・三井住友銀行)に就職しました。紆余曲折があって後年、阪急電鉄を創業することに至りました。阪急創業者の小林一三氏といえば多くの人が神様的な実業家と思うでしょう。ところが自叙伝の中には面白いエピソードが書かれています。そのひとつに大学を卒業し、三井銀行に就職が決まっているのに熱海で温泉生活を長々としてしまい、挙句の果てに出社する気にならなかったという若い頃の逸話があります。この辺りのところを読むと結構、親しみを覚える人物像でした。その後、大阪の三井銀行へと転勤し、宝塚歌劇創設をはじめとし大きな業績を挙げることになります。しかし若いときは大変な苦労もあり、決して順風満帆でないことも理解しました。

もう一冊はBAYER社の発行しているBAYという小冊子です写真2)。最新号に掲載されたジローラモさんというイタリア人のモデル・タレントさんの記事に目がひかれました。よくテレビなどに登場している人なので御存知の方も多いことでしょう。氏は1962年にイタリアのナポリに生まれ、1988年から日本に住んでいます。つまり、人生の約半分ずつを日伊両国で過ごしていることになります。そのため「両国の人間の生き方や考え方を上手にミックスして生きている」と氏は語っています。氏のイタリア人らしい面としては悩んだり、気にしたりするのは時間の無駄と考えているところです。ストレスがあってもストレスを気にせず、「怒ったりすることはエネルギーの無駄」とし、「どんな問題も必ず解決法があるので深く考えすぎない」とジローラモ氏は主張しています。そして「笑顔とあいさつが最も大事なコミュニケーション術」であり、笑顔でいるからハッピーになれるのだとしています。私自身が日本笑い学会の会員で常に笑いと健康をテーマに行動しています。しかし、ジローラモ氏のシンプルな主張にはあらためて教えられるところがありました。

 

さて本業に戻り、これから暑い夏がくるというわけで夏の感染症のひとつである日本脳炎について少し掘り下げ研鑽してみました。

日本脳炎ウイルス以下、日脳ウイルス)1935年に初めて人間の脳から分離されました。林道倫という岡山県の精神科・医師が発見の道筋をたてたとされています。日本で分離されたので日本脳炎ウイルス写真3)と名付けられました。ですから日本原産の固有ウイルスというのではなく、日本で発見されたウイルスなのであります。時に誤解があるのですが、日本原産の国有ウイルスが日本からアジア各国に広がったというのではありません。現在のところ日脳ウイルスは東南アジアに比較的広く分布しており、そのため日本脳炎の流行地は図1のように日本、中国、インドから南はオーストラリアにまで及んでいます。現在でも小児を中心に世界で毎年約5万人が発症し、およそ1万人が死亡しているといわれています。

日脳ウイルスの主な感染源は豚であり、ウイルスをもった豚を吸血した蚊(主にコガタアカイエカ、写真4)に人間が刺されることによって発症します。つまり人間から人間へ直接感染することはなく、コガタアカイエカを媒介して感染するのです。日脳は、いわゆる蚊媒介感染症なのです。日脳ウイルスを媒介するコガタアカイエカの生育に東南アジアの水田が適しているため同地域に感染が多いのです(反対にヨーロッパの気候風土はコガタアカイエカには適していません)。なお、豚自身はウイルスを体内に持っていても発病しません。ただ豚はウイルスの増幅をするだけなのです。図2では、このような感染サイクルを分かり易く呈示したものであります。

さて人間が蚊に刺されて日脳ウイルスに感染してもほとんど人は発病しません。つまり大部分の人がいわゆる不顕性感染症で終わってしまうのです。分かりやすくいえば「知らないうちに蚊に刺されて感染したものの、症状が出てないだけで発病の危険はある」ということです。不幸にして発症する人は300人から10000人に1人だけといわれています。つまり幸いにも少数の人なのです。しかし、いったん発病すると高熱、頭痛、嘔吐、意識障害、けいれんなどがおこり、20%の人が死亡に至ります。また、たとえ死亡に至らなくても発病した半分の人において脳障害による麻痺などの後遺症が残ってしまいます。しかも有効な治療法がないのです。このように結構、やっかいな疾患なのです。

かつて我国では多数の日脳患者が発生していました。昔は小児の患者さんが大部分でしたが、次第に老人の患者さんも増えてきました。もちろん予防接種も昭和30年ごろから開発され、実用化されてはいました。しかし予防接種体制が十分ではなかったようです。日脳の患者数がピークとなったのは1966年の2017人でしたが、1967年から予防接種が開始されたため激減しました。最近では1年間に10人以下の発病となっております3)。そのため何となく、日脳は過去の感染症と思われがちですが、油断は禁物です。現在でも日脳の抗体を持っている豚、つまりウイルスを持っている豚は西日本を中心に広く分布しているからです。そのため日脳の予防接種を受けることは大変有意義です。ただ日脳の予防接種については2005年には積極的勧奨の差し控えが厚生省から出されました。これはマウス脳を使用したワクチンであったため、急性散在性脳脊髄炎 (ADEM)が発症したからです。幸い2009年になってアフリカミドリザル腎臓由来の株化細胞を使用した新しい日脳ワクチンが開発され、大きく問題が改善されました。現在では2種類の日脳ワクチンが流通し、子どもさんが3才になれば定期接種として受ける予防接種の一つに組み込まれています。特に感染した豚が多い西日本の子どもさんでは受けることが重要です。また東南アジアの国に出かける機会のある人は受けておいていた方が良いでしょう。さらに流行地では3歳からではなく、生後6ケ月から前倒しして受けることも日本小児科学会では推奨しています。このように子どもさんについては日脳予防接種を受ける体制が概ね確立しています。ただ最近の日脳患者さんは子どもさん以外、つまり40才以上の成人に多い傾向があります。これは予防接種を受けていても成人して時間がたって免疫抵抗力が低下するためと推測されています。ですから大人の日脳予防接種を考慮(特に西日本などの流行地)してもよいかもしれません。

また予防接種だけではなく、日常生活において蚊帳や蚊取線香を使い、屋外では長袖・長ズボン・防虫薬の使用などをして蚊に刺されないようにすることも必要です。なにしろ蚊は2キロメートル程度移動する様ですので御注意下さい。

 キャプチャ1
写真
1 「逸翁自叙伝」(小林一三著、講談社学術文庫)

キャプチャ2
写真2  BAYER社の発行しているBAYの表紙(一部抜粋)

キャプチャ3
写真3 長崎大学熱帯医学研究所のホームページからの引用

キャプチャ4
写真4 コガタアカイエカ
国立感染症研究所のホームページからの引用

キャプチャ5
1 日本脳炎の流行地
日本小児科学会のホームページからの引用 

キャプチャ6
2 日脳の感染サイクル
東邦大学医療センター 大橋病院 小児科のホームページからの引用

キャプチャ7
3 日脳患者の発症数