気づき

最近当院の発達支援外来を受診してくださる方が増えてきました。
あんどうこどもクリニック開設以来早く発達支援を出来るようにしたいと思い続け一般診療の中で細々と相談させてきましたが、昨年10月臨床心理士の大藤先生、今年9月より言語聴覚士の塚本先生、西田先生に来てもらうことが出来て本格的に発達支援外来を開始することが出来ました。

ホームページにも書きましたが私が発達支援が必要と思ったきっかけは愛仁会高槻病院で発達外来を担当していた20年ほど前にさかのぼります。当時新生児科医として勤務していた私はNICU卒業生のフォロー、高槻病院で生まれたこどもさん達の乳児健診のフォローを当時医長で現在副院長になられている南先生とともに担当していました。当時は発達障害という概念は日本ではまだなく、脳性麻痺になることなくNICUを退院したけれど軽度の知的障害として1−2年後に健診で見つけられるという状況でした。

当時アメリカではMinimal Brain Damage(微細脳損傷)と言われる現在の発達障害に当たる概念が提唱され、その後自閉症との関連が議論されるようになり、私はこの新しい疾患分野の勉強を始めました。MRIでは異常が見つからないけれどなんらかの微細な脳の異常があり起きる疾患と言う概念でした。その後、研究が進み脳神経回路の形成が上手くいかずMRIでは見えないような(MRIでは1mm以上の大きな異変しか解りません。神経細胞の大きさは0.1mm以下)病変があるために起こるのだろうと解ってきました。原因は推測できても現在の医療技術では脳の神経回路を修復することは出来ません。出来ることはそのこどもさんの能力をできる限り発達させるよう刺激したり、少しでも日々生活しやすいように環境を整えたり、合理的な配慮をして特性に合わせた対応をすることです。
多くのこどもさんに接するうちに、ADHDや自閉症のこどもさんがなぜそのような行動をするのかこどもさんの気持ちが解るようになってきました。それは小児科医としての経験や勉強した知識によるものと思い込んでいましたが、最近それは私の思い上がりであることに気がつきました。こどもさんを診察し親御さんに説明しているうちに、これは我が身を振り返ると私自身にも当てはまるのではないかと思い至りました。私自身がADHDであるが故にこどもさん達の気持ちが推測できると言うことに。

振り返るとこどもの頃の私はなんせ落ち着きのない、おっちょこちょいの子供でした。宿題を忘れるは、夏休みの宿題は夏休み終わり直前までせず、3日くらいで慌てて片付けるは。そんな私を両親は、あなたは大器晩成なんだ、私達の子供なんだから出来ないはずはない、きっと出来るからと根気強く励ましてくれました。今思うと両親の対応は現在で言うところのペアレントガイダンスそのものでした。
人はいろんなものを背負って生きています。完全無欠の人間などどこにもいません。得意なこと、不得意なこと、好きなこと、嫌いなこといろいろな折り合いをつけて日々を過ごしています。
ADHDの特性をなんとかいろいろな折り合いをつけて私は仕事をしてきたのでしょう。この歳になってもまだ人とぶつかり、いらだちを押さえることが出来ず、周囲に迷惑をかけながら日々過ごしています。こんな私でも、もし何事かをなし、こどもさん達や親御さん達のお役に立つことが出来るならば小児科医という仕事に就いたことは無意味ではなかったのかなと思います。両親に感謝しつつ。






DDまっぷ ドクターブログ 一覧