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コロナウイルス流行で思い出したこと

院長の武です。現在のコロナウイルス流行を受けて、約10年前の忘れ得ない個人的な出来事をここでご紹介したいと思います。

2009年いわゆる新型インフルエンザ(H1N1亜型)が世界的に流行しました。日本政府は予防対策として4月28日成田、中部、関西の各国際空港でメキシコ・米国・カナダからの便の機内検疫を開始しました。病院から訳あって選ばれた私は、ゴールデンウイークの中日の蒸し暑い日の朝に、関西国際空港へ向かいました。まず最初に、空港の隣のビル内にある厚労省のオフィスで、厚労省臨時職員に任命され、空港内での検疫業務を経て、午後から機内検疫実施となりました。防護服に着替え、N95マスク、ゴーグルを身につけた私は、看護師、事務官らのチームとともにワゴン車に乗り込み直接滑走路に入りました。タラップの階段を登ると。大勢のマスコミ関係者がカメラで飛行機に乗り込む我々を撮影しているのが見えました。「もしこの便から感染者が出れば、夕方のニュースで映るのかな?でもこの格好では誰かわからへんな。」と呑気な事を考えながら、米国から到着したばかりの機内に入りました。それは沖縄勤務の海兵隊員数百人と米国民間人、日本人らを乗せた米系航空会社の旅客機で、若い兵士たちが、興味津々で我々にカメラを向けてきました。事務官が「No Camera!!」と叫んでも彼らはお構いなしに、映画“アウトブレイク”もどきの日本人一行を珍しそうに撮影していました。最初の検疫業務として、赤外線体温計で乗客全員の検温を行いました。この作業にかなり時間を費やし、2時間ほど経過した頃にはさすがの米兵達も飽きてきたのか、「早く下ろせー」などと騒ぎ始めました。最終的に発熱者のみが機内に残され、飛沫感染しない距離を置いて座らされました。それから医師である私は皆にインフルエンザ検査を行いました。慣れない英語で検査の説明を行い、やや怪しげな手つきで鼻腔に綿棒を差し込みました。その中に小学生位の可愛い米国人の女の子がいて、お母さんに付き添われて不安そうに座っていました。できる限り優しく検査を済ませましたが、終わった後気丈にも涙交じりの眼で微笑んでくれました。それらの検体を臨床検査技師が、CAさんが料理を温めたるする台の上で検査しました。もし陽性が出れば、当人はもちろん、濃厚接触した我々も数日間施設に隔離されることになります。そんな緊張感や防護服の暑さにぐったりしながらも、午後5時過ぎ無事全作業を終了しました。幸い当機からは一人の感染者も出ずに全員が解放されました。例の女の子のお母さんから、「是非記念に一緒に写真を撮らせて欲しい」とお願いされたので、長時間辛抱してくれたお礼にと、女の子と一緒にカメラに収まりました。事務官は見ぬ振りをしてくれたようでした。大変な目にあっても遊び心を忘れない国民性に、思わず癒されました。私はそこでお役御免でしたが、他の係官達は、別便の検疫の手伝いのために、他のゲート目指して走り去りました。彼ら(我々の?)の奮闘もむなしく5月16日に神戸の男子高校生に国内初感染が見つかったことにより、空港における水際作戦は終了となりました。新型インフルエンザはその後、国内でも急激な感染の広がりを見せましたが、医師、看護師、救急関係者、保健所など医療関係者による尽力のおかげで、日本は世界でもまれな著しい死亡率の低さを記録しました。現在の新型肺炎に対して、我々医療関係者は10年前のように一丸となって対処していかなくてはなりません。皆さんも恐れすぎず油断せずで何とかこの苦境を乗り切っていきましょう!!