龍馬暗殺についての一考察

今日は、普段の医療ネタではなく、趣味の歴史、幕末史ネタの話です。

NHK大河・龍馬伝は、今日で最終回です。
私は、新選組・会津藩・尊皇佐幕・公武合体派なのですが、
それなりに一年間楽しく見てきたのにな~。

さて、何故、龍馬はさしたる抵抗もできずに殺されてしまったのでしょうか。

龍馬殺害の実行犯とされる、京都見廻組の今井信郎が、明治維新後に語ったところによると
「龍馬が潜伏していた近江屋の部屋には二人で切り込んだ」
とあります。

最近テレビで特番が組まれたりした「再現ムービー」では
いきなり斬りかかられて、わずか数秒の斬撃でよけきれなかった
と解説されていました。

ふすまで仕切られた、中が見えない部屋で、照明も行灯の薄暗さ、
誰が龍馬か分からないのに、いきなり斬り付ける。。

龍馬暗殺の翌月、慶応3年12月7日に起こった天満屋事件では、
紀州藩士、三浦休太郎を殺害すべく、
陸奥陽之助をはじめとする海援隊、陸援隊隊士16名が
護衛の新選組斎藤一、大石鍬次郎ら7名と乱闘になり
双方死者を出すも、三浦休太郎は軽傷でその場を逃れました。

近江屋と天満屋、二つの事件を比較してみると、

近江屋には、護衛となる仲間がいなかった。→ 安全な隠れ場所と思っていた?
見廻組側も、少人数で切り込んでいる。 → 護衛がいないことを知っていた?
突然斬りかかっている(らしい)。 → 部屋には少人数しかいないことが分かっていた?

つまり、慶応3年11月15日夜、近江屋には龍馬が潜伏しており
部屋にいる人物を殺害しさえすれば、その中に龍馬がいる
ことを、襲撃者側が知っていたことになるのではないか。

ということは、
殺害の実行部隊は、京都見廻組ではあるものの
内部事情を知る、薩長土側からの密告、情報提供なくしては
ありえない事件のように思われるのです。

大河・龍馬伝では、
薩摩の暗躍が描かれそうですが、
今日の最終回では、どんな演出がなされるのでしょうか?

それにしても
龍馬が生きていたら、
今の日本はどんな姿になっていたのでしょうね。

(ついつい熱が入ってしまいました。)