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ルーツをたずねる旅

今月のGWには徳島の剣山へ旅行しました。

なぜ剣山かというと、私の父方の祖父、曽祖父一家(近藤家)は剣山の中腹の一宇村というところで暮らしていて、この機会に家の跡を訪ねてみようと思い立ったからです。実は昭和55年(1980年)の夏に来たことがあります。この時は祖父の妹さんが一人で暮らしておられ、私はまだ大学生でしたが、何泊かさせてもらい、「兄やが帰ってきたようじゃ」と、大変歓迎して頂いたのを覚えています。

その方ももう亡くなられ、今回はお孫さんにあたる方が徳島県勝浦町というところにおられて、お会いして正確な場所を教えてもらいました。今は元々の家は完全に処分して、お墓も徳島市内に移し、新築した家(昭和55年に行った時にはありました)だけが残っているということでいうことでした。

当日は徳島市でレンタカーを借り、徳島自動車道を西へ40分ほど走って貞光というICで降り、そこから南へ国道438号を剣山方向へひたすら登って行きました。一時間余り登ってさらに東の方への細い道を行くと目指す場所にたどり着きました。

全景-2

確かに写真のような建物は残っていましたが、とにかくものすごい山奥で、少し上った所には民家が数軒あるものの誰も住んでいないようでした。右側の建物が当家のもので、左の家屋は他家です。この間に家がありました。  元々の家があったところは完全に更地になっており、少しコンクリートの土間が残っているぐらいでした。 下は反対側から見た新しい家で昭和の55年にはここに泊めてもらいました。手前に元々の家がありました。

家

祖父は大阪に来て就職し祖母と結婚して父が生まれましたが、自身は二十歳台で夭折しました。なので私は写真でしか見たことがありません。今回この場所をしばらく歩きまわり、祖父や曽祖父の一家がこの山奥でどんな思いで暮らしていたかと思うと、これは全くの気のせいしょうが、不思議な「暖かみ」のようなものを感じました。

その後車でさらに一時間ほど上ってあとはリフトと徒歩で剣山に登りました。昭和55年にも祖父の妹さんと来ました。下は同じ場所で撮った写真です。

昭和55年

令和7年

山頂からは見晴らしが良く、360度の素晴らしい眺望を楽しむことができました。 祖父や曽祖父たちも同じ風景を見ていたことでしょう。有意義な旅でした。


動機づけ面接

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動機づけ面接とはアメリカで開発された面談技法で、もともとはアルコール問題を抱える人への面接の方法でしたが、現在は色々な分野に応用されています。また技法自体もアップデートされています。非常に体系化されていて、効果も多くの論文で実証されています。

通常私が月一回オンラインで参加しているのは大阪市大(現大阪公立大)病院小児科におられた川村智行先生先生が主催されているDMMIという研究会で、糖尿病患者さんへの面接に応用することを目的としています。今回は特別なワークショップで、4月27日日曜日に10時から16時まで途中休憩1時間をはさんで練習しました。

誰でも健康に良いと理解している行動を、「やりたい、でもやりたくない」という2つの相反する気持ちを持っています。これを「両価性(アンビバレンス)」と言います。例えば「運動した方が体に良いことはわかっているしやりたい、でも仕事が終わってからはしんどい、また外に歩きに行くのは面倒だ」というようなものです。

これをOARS(日本では「オールズ」と呼ばれている)という技法を使って会話を交わし、この両価性を乗り越えて来談者(私たちの場合は患者さん)の目指す方向へ進んで行く、というのが動機づけ面接の目的だと理解しています。

OはAsking Open Question(開かれた質問)、AはAffirming(是認:患者さんの話を肯定する)、RはReflective Listening (聞き返し)、SはSummarizing(要約:患者さんの話を要約して伝え返す)の略です。

また患者さんが行動を変えようという思いが見える発言をチェンジトークと言いますが、これを拡げてゆく必要があります。これにも様々な技法があり、少し例を挙げると上の運動の話なら「以前は何か運動をされていましたか?」「もし時間があればどんな運動をしたいですか?」という形で聞いてゆく、あるいは「日常生活の中で簡単にできる運動がありますが紹介させてもらって良いですか?」と患者さんの許可を得て情報提供する方法などもあります。

このように書くとなんだかわざとらしい感じになりますが、単純に聞き返しているだけでは患者さんの「できない、しない理由」にずっと付き合ってゆくだけになり(これを維持トークといいます)、何をしているかわからなくなります。外来の現場でどう言ったら自然にチェンジトークを拡げられるかが求められます。

まるでサッカーでパスを受けた時、次に自分がドリブルするのか、シュートを打つのか、味方にパスをするのか、一瞬で判断するのに似ています。難しいですが興味深いです。


お茶会

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自宅にある八畳の和室には炉が切ってあります。母が茶道をしており、一度だけ親戚の人たちを招いてここでお茶会が開かれたのをかすかに覚えています。四十年近く前のことでした。

今月9日は母の三回忌法要をすることになっており、この和室に親戚の人たちにも来てもらうのでこの機会にお茶会をしようと昨年思い立ちました。私自身は全く茶道の心得がありません。しかしある食事会で茶道の先生とお隣になり、この話をしたところ快諾いただき、開催できることになりました。事前準備のため何度も当家に来ていただき、色々な茶碗、茶道具などを見て頂きました。収納されている押し入れを開けて見ると、思いのほか沢山の茶道具があって驚きました。

茶釜 茶杓 柄杓

同日は先生のおかげで無事に開催することができ、出席の方々にも喜んでもらえました。道具たちも四十年以上の眠りから覚め日の目を浴びることになりました。母も喜んでいるのではないかと勝手に思ってます。

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菓子

私自身が茶道を一から習う時間的余裕はないのが残念ですが、お客としての作法は学ぶつもりです。


食事の酸性・アルカリ性

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私が子供の頃、祖母がさかんに食事の酸性・アルカリ性ということにこだわり、「肉はダメ、野菜を食べなあかん」と言って野菜の食事を勧めたり、豆乳を自分で作って私に飲ませたりしていました。当時1960~70年頃はそのような食事の酸性・アルカリ性ということがちょっとしたブームになっていたのです。

酸性・アルカリ性というのはph(ペーハー)という数値で示されていて、7.0が中性、それより高ければアルカリ性、低ければ酸性となります。私も医師になり、動脈血はほぼph(ペーハー)7.4前後に保たれている、つまり弱アルカリ性になっており、それは呼吸と腎臓の働きで調整されていることを学び、ちょっと食事を変えたぐらいで体内の酸性・アルカリ性が大きく変わるはずはないという考えに至り、意識の外にありました。医学の常識からはかけ離れた考えであるとしてブームも去り、誰も食事の酸性・アルカリ性などとは言わなくなっていました。

ところが先日、腎臓の治療に関する記事を読んでいたら、「CKD(慢性腎臓病)治療ガイドライン」という本に「代謝性アシドーシスを有するCKD患者では、内因性酸産生量を抑制し、腎機能悪化を抑制する可能性があるため、アルカリ性食品(野菜や果物の摂取など)による食事療法を提案する」とはっきり書かれていることを見つけ、びっくりしました。現代の標準的な医学でも食事の酸性・アルカリ性はある程度認められているということです。

最近写真のような和田洋巳(元京都大学医学部呼吸器外科教授)という先生が書かれた「がん劇的寛解」という本を読み、進行がんであってもアルカリ食で生存率が改善することが論文で報告されていること知りました。体内の酸性・アルカリ性は尿のphで調べることになっていて、ドイツの栄養学の専門家がどんな食品がどれぐらい尿のphを変えることができるかきちんと数値を論文で発表していることも書かれていました。祖母が信奉していたのも決して荒唐無稽な話ではなかったのです。

試しに自分の尿のphを測ってみましたが6で酸性でした。野菜を摂るように気を付けているのに少しショックです。和田先生の本では野菜を一日400g摂るように書かれています。そこまではとてもできませんが、食事で尿のphがどれぐらい変わるか自分の体で実験しようと思います。

 


岐阜城の疑問

毎年参加している「若年者心疾患・生活習慣病対策協議会」(若心協)という会が今回は1月26日に岐阜で行われたため前日から行ってきました。

長良川

 

山頂3

写真は岐阜のシンボルである、金華山という山の山頂にある岐阜城です。拡大して下さい。上の写真は北の長良川河畔から、下の写真は南側のJRの列車から撮ったものです。遠方からでも目にすることができます。大きな山容の上に小さな天守閣がちょこんと乗っているのが何となく可愛い感じです。

この城は元々鎌倉時代に砦があったところに美濃国を支配した斎藤道三が整備し、その後織田信長が本拠地として新たに造営しました。今ある天守閣は1956年(昭和31年)に鉄筋コンクリートで建てられました。

信長はこの地を「岐阜」と命名し、山麓に城下町を作り繫栄させました。

以前は天守閣まで上ったことがあるのですが、ずっと思っているのが「なぜこんな山の上に大きな城を作ったのか?」という疑問です。今でこそロープウエイがありますが、標高330mの山頂まで最短ルートでも徒歩40分かかります。まあ昔の人はそれぐらい慣れていたでしょうが、それでも建設資材や食料などを運ぶのはかなり負担だったはずです。

山頂の天守閣がどのように利用されていたかネットで色々調べてみましたが、信長の家族が居住していた、権威を示すためだった、など諸説あるようです。

ただ水が殆どないので籠城には向かなかったということです。

天守閣からは城下をはじめ、遠くは名古屋まで見渡せるようです。隣国から攻め込まれたとき相手の動きが見やすい、ということは確かにあるでしょう。しかしこの城は斎藤道三のころから五回落城しています。

山頂までのルートはいくつかあります。いつか徒歩で登ってこの疑問を再検討したいです。

山頂2

 

 

 

 

 

 


切れないそば

毎年末には自分で二八そばを打っていますが、どうしても切れやすく短い麺になってしまいます。Youtubeなどを見るとこれは初心者共通の悩みで、原因は色々あるようです。そばを打つのは、大まかには以下の5工程があります。

  1. 水回し:そば粉に加水し全体にいきわたらせる。
  2. こね:そば粉をこねて塊にする。
  3. 延し:塊をめん棒で薄く延ばす。
  4. たたむ:伸ばしたものを切りやすいようにたたむ。
  5. 切る:太さができるだけ均一になるように切る。

今回は打つ量そのものを減らし(500g→300g)、1の水回しを素早くして乾燥させないように注意して打ちました。また茹でる時も少量づつにしました。

↓最初はこんなそば粉です。

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↓加水すると小さな塊ができます。

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↓さらに手で混ぜてゆくとこんな塊ができます。この水回し工程が20分程かかり、忍耐が要ります。

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↓この塊をまとめてこねるとこうなります。

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↓めん棒で伸ばしました。

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↓畳んで切りました。

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以前よりは長い麺ができあがりました。年一回しかやらないので永久に初心者ですが、茹でて素人の手作り感を味わいます。


紅葉はむつかしい

今月23日に滋賀県長浜市木之本にある鶏足寺に行ってきました。

ここは紅葉の名所で、目当てはこのような写真の撮影です。

鶏足寺

(「長浜・米原を楽しむ観光情報サイト」から)

しかし残念ながらこの日はこんな感じでした。

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色々調べると、紅葉の良し悪しは、①日中の天気が良いこと ②適度な雨や水分 ③昼と夜の寒暖差があること の3条件に左右されるらしいです。③は、夜の気温が高いと昼間作った糖分を使って活動してしまうため鮮やかな赤にならないということです。

今回はそういう条件が揃わらなかったのか、あるいは行った時期が悪かったのかもしれません。もう一週間後に行けば、とも思いますが、頻繁にここまで通えないので仕方ないです。デジタルですからレタッチ(加工)すればもっと彩度を上げて鮮やかにすることはできますが、そうやってあまり「盛る」のも気が引けます。

しかしまあ、下のような写真も撮れたのでよしとします。

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「サルコペニア」

今月13日日曜日に地域の連合老人会「すえなが会」で講演をしました。今年頂いたお題はこの「サルコペニア」で、正式な意味は「高齢期にみられる骨格筋量の減少と筋力もしくは身体機能の低下」ということですが、非常に俗っぽく簡単に言うと「年がいって足腰が弱ってくる」状態、ということになります。 今まで「高齢になれば足腰が衰えるのは当たり前」と考えられてきましたが、「いやいやこれも一種の病気だから治すべきだ」というわけです。

これは日本人の平均寿命は伸びたものの、健康寿命(健康上の問題がなく日常生活を送れる期間)が追い付いていない(男性で約8年、女性で約12年の差がある)ので何とかしなければならない、という考えから来ているものですが、簡単には老いられない時代になってきました。

講演ではサルコペニアについて一通り説明しましたが、この講演の準備のため色々調べてみた中で、筋肉からはマイオカインというホルモンが分泌されていることを知り、皆さんにお伝えしました。マイオカインは30種類以上あり、大腸がんリスクを減らす、インスリンを分泌させたりブドウ糖の細胞への取り込みを促すという糖尿病に良い作用、他に血管を拡張させる作用などもあるようです。 今まで正直なところ我々内科医は「筋肉なんてただ手足を動かすためだけのもの」と心臓、肝臓や腎臓などの内臓より下にみていましたが、実は筋肉はこのようなマイオカインを出したり、水分を貯める、熱を産生するといった重要な働きをしていることが解明されてきました。

さらに「筋肉の6~7割は下半身にある」「老化現象で、下半身の筋肉は上半身の筋肉より3倍速く減少する」「高齢になっても筋トレで筋肉量、筋力は増える」というお話をしました。トレーニングは色々ありますが、日常生活の中に取り入れるなら「階段をゆっくり降りる」というのも良い方法です。勢いで降りてゆくのではなく、一段一秒かけて太ももに負荷を感じながらゆっくり降りてゆくのです。

私のことを言うと、診察で患者さんを診察室に入ってもらうたびにできるだけ立ち上がるようにしています。これは礼儀ということでしているのですが、ひそかに足の筋トレの意味もあります。坐るときもゆっくり椅子に腰を下ろしてゆくようにしています。(このことは 栗原 毅 著『食べて飲んで中性脂肪とコレステロールをへらす本』(興陽館)の記述を参考にしました)

 


おまけのドーハ観光

先月スカイ島旅行の事を書きましたが、帰国途中に飛行機の遅れから思いがけずカタールのドーハ観光をすることになり、面白い体験もしたので書きます。

8月16日、スカイ島旅行を終え、スコットランド本土のインバネス空港からカタール航空でロンドンを経由し、カタールのドーハ、ハマド国際空港に午前0時過ぎに到着しました。ここで関空行きのフライトに乗り換えでしたが、元々1時間半ほどしか余裕がなく、その上に到着時刻が遅れ、必死に走ってゲートを探してたどり着きましたが係員に「もう締め切った。次のフライトはtomorrowだ。」と言われてしまいました。

明日と聞いて茫然としましたが、落ち着いて考えてみると、中東などなかなか来られるものではないし、ドーハ観光するのも面白いではないかとポジティブに考え直しました。実はこのような遅れもあり得ると思い、土曜日に帰国予定の便にして一日おいて月曜から仕事再開の計画にしていたのです。

それからカタール航空のカウンターでホテルの宿泊、3食のバウチャー(クーポン券)をもらい、カタール国に入国し、迎えに来ていたバスでホテルに向かいました。ホテルに着いたのが午前3時ごろになってました。部屋の窓からは遠くに様々な形の高層ビルが色とりどりに輝いて立ち並んでいるのが見えました。もう遅かったのでとりあえずシャワーを浴びて寝て11時ごろに起きてさてこれからどうしようと考えました。ドーハに来ることなど全く想定していなかったので、あわててスマホで「ドーハの観光名所TOP10」というサイトなどを調べ、近場で行けそうな国立博物館とイスラム美術博物館に行くことにしました。

ホテルのフロントで聞くと国立博物館まで歩いて20分ぐらいということだったので歩いて行くことにしました。しかし外はとにかく焼けるように暑かったです。出国した時の日本より熱い気がしました。あまり人も歩いておらず、車ばかりが走ってました。汗だくで横断歩道を渡っていたらクラクションを鳴らされ、振り返ると運転手が車から顔を出して水のペットボトルを差し出してくれました。東洋人がふらふらしながら横断歩道を渡っていたのを見るに見かねたのでしょう。せっかくの好意なので丁重にお礼を言って受け取りました。 暑さに耐えて歩き続け、やっとのことで国立博物館に到着しました。博物館の中はドーハの石器時代から現代までの種々の文物が展示、解説されていて、なかなか充実したものでした。

そこを出てまた10分ほど歩いてイスラム美術館に行きました。閉館が午後5時で、1時間弱ほどしか居られませんでしたがここも見ごたえがありました。特に金属加工品の数々には高い完成度と独特の気品が感じられました。

イスラム美術館-5イスラム美術館馬-2

美術館を出て歩いてホテルに戻りかけましたが、日が落ちてもまだ暑かったので美術館の前まで戻ってタクシーに乗ることにしました。そこであるドライバーに出会ってしまったのです。まずホテルの場所を伝えましたが、汗でシャツが濡れていたのでどこか安いシャツ買える店に途中で寄ってほしいとリクエストしました。彼はわかったと言って走り出しました。彼はバングラデシュの出身で、妻、娘が一人いると言い、「ドーハは安全だ。テロもない。犯罪もない。」「10年前にはこの街には何もなかった。」「FIFAが来てから(2022年のサッカーワールドカップはドーハで開された)こうなったのだ。」と語った。やがて衣服の大型量販店のような店に着きました。そこで彼は率先してシャツを選び始め「高くないからこれも買え」と言って2枚、3枚と陳列から取り出しました。自分としては1枚だけ買えば良く、このドライバーはもしかして店と結託しているのではないかとすら思いましたが、白と黒の2枚と、下着のシャツを買いました。 実はその時カタールの通貨を持っていなかったので、その後ATMのあるところに2か所に向かったのだがなぜか引き出せず、走行しているうちに1時間ほど経ってしまいました。仕方ないので手持ちのイギリスポンドで支払うことにしました。

彼はそこから「せっかくだからホテルまでの間、30分ほど寄り道してドーハのビル街を見てみないか」というので迷いましたが、まあせっかくだしあの輝く高層ビル街を近くで見たいという気もしたので了承しました。実際に近づいてみると確かに多くのオフィスビルが立ち並んでいたが東京のような感じがしないでもなかったです。 このビル街の光景はドーハの名所の一つで、ドライバーが「ここで写真を撮ろう。さっき買ったシャツを着てくれ。その方がハッピーだ」と言い出した。別にそこまでしなくても、と思いましたが言われるままに車を降りて着替え、何枚か写真を撮ってもらいました。

ドーハドーハシャツ-2

また「アラビックティーを飲もう。俺がおごる。」と言って、屋台の様な店の近くに車を停め、ドライブスルーのような形でカップに入った飲料を取り寄せました。お茶に生姜、砂糖、ミルク、ハーブなどが入ったものでこれはなかなか美味しかったです。 その後小ドーハ観光を終えホテルに向かいました。途中カタールという国について話をしました。この国には石油と天然ガスの莫大な資源があり、サーニー家という昔からの部族の一族が実質的に行政、立法、司法を支配しています。ドライバーは「この国には選挙もない。税金もない。」と言ました。「それでみんな満足しているのか?」と聞くと、「満足している」と答えました。あとで調べたところでは、2024年4月版のIMF世界経済見通しでは一人当たりのGDPは世界8位(日本は38位)ということです。ただ選挙が全くないわけではなく、2021年に初めて「諮問評議会」という45議席の議員を選ぶ選挙が実施されたということでした。

そうこうしているうちに「ホテルに着いた」と言われました。しかし全く別のホテルでした。ドライバーがホテルの名前を勘違いしたのです。だから「30分ぐらい寄り道して、、、」という話になったのでしょう。そこからまた30分ほどかけて本来のホテルに着きました。結局予定より2時間ぐらい遅くなってしまいました。それで支払いですが、ATMに行ったときは「100カタールを引き出してくれ」(1カタールは約40円)と言われていたので、50ポンド札を出しました。これはこの時のレートでは日本円で9,000円ほどになるのですが、彼は「あーもう一枚、、、」と言いました。「自分がホテルの場所を間違っておいておきながら3時間で18,000円か?」と思いましたが、ある程度ぼったくりは覚悟していましたし、話のネタにもなりそうな体験も色々できたので、チャールズ新国王が印刷された新しいイギリス50ポンド札を一枚渡してタクシーを降りました。

ホテルの部屋に戻って急いでシャワーを浴び、夕食を食べる間もなく荷物をまとめ、午後9時半にホテルのバスで空港に向かいました。

なかなか面白い体験でした。


スカイ島

お盆休みにスコットランドのスカイ島というところに行ってきました。

↓ 地図の赤いマークの島です。

UK地図2

面積は1700㎢で大阪府(1898㎢)より少し小さいぐらい、人口は1万人弱ですが世界中から観光客が来ます。

なぜこんな辺境の島にわざわざ行ったかというと、タリスカーというウイスキーの蒸留所があるからです。まだ外飲みの習慣がなかった頃、たまたま入ったバーでこのウイスキーを飲んで独特の風味に魅了され、初めてウイスキーがうまい、と感じました。本やネットでは「力強いスモーキーさ」「黒胡椒のようなスパイシーさ」がある、とよく表現されています。いつかはこの蒸留所に行ってどんなところでこの風味が育まれるのか見てみたいと思っていました。

タリスカー蒸留所2

8月10日午後6時にカタール航空で関空からドーハ、ロンドンを経由してスコットランドのインバネスという都市に着き、そこからバスで3時間強、合計約30時間でスカイ島に到着しました。翌日貸し切りタクシーでタリスカー蒸留所へ行き、ネットで予約してあった1時間の見学ツアーに参加しました。最初にウイスキーの製造過程について説明があり、その後研修室のような部屋でテイスティングがありました。当然説明は全て英語で、残念ながら私のリスニング力では全く理解できませんでした。独特の風味が蒸留所が海のそばにあるためかは正直わかりませんでした。しかしテイスティングではとても強く良い香りと味がして楽しめました。

翌日はバスツアーに参加して観光し、翌々日に今回の旅のハイライトである”Old Man of Storr”(「ストーの老人」)に登りました。スカイ島の象徴的な名所です。下の写真のような尖って立つ右側の岩で、スカイ島一番の名所です。

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電動自転車を借りてホテルから1時間ほど走ってふもとに着き、そこからなだらかな道を登りました。多くのハイカーが連なって登っていました。なだらかな登りでしたが老人に近づくにつれ急峻になり、はっきりとした道もなく岩の間をよじ登るように登り、岩の根元のくびれた部分にに着きました。

このような風景が形作られたのは、その昔マグマが噴出してかたまり、長年の地滑りでこのような尖塔状の奇岩が取り残されたためだということです。行ってみると岩は黒いグレーで、確かに溶岩が固まったものだと思いました。

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強風が吹いていて油断すると飛ばされそうになりましたが素晴らしい眺めを見ることができました。根元でコープで買ったサンドイッチを食べました。これが念願だったのです。振り返ってみると約50mの岩が背後にそびえたっていました。

 

ストー1

ストーから

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いつまでのこの絶景を眺めていたいと思いました。

スカイ島には結局4泊5日で丸一日居られたのは3日だけでしたが、スコットランドの壮大な風景を堪能しました。