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体質は3年で変わる、かな?

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高血圧、高脂血症、糖尿病も「体質ですから、、、」とついつい患者さんに言ってしまいますが、体質が変えられるならこんな素晴らしいことはないわけです。この本の著者の中尾光善先生は元小児科医で、現在は熊本大学発生医学研究所の教授、エピジェネティクスの研究者です。エピジェネティクスとはものすごく端折ってい言うと、遺伝子のスイッチをオン・オフする仕組みのことで、「体質は3年説」を主張されています。

その具体的な根拠は2つ示されていて、

① イスラエルの研究者の報告で、人間は一日当たり80±20gの細胞量が入れ替わっているという。これを体重70㎏の男性で計算すると、一日80gなら約2.4年で、60gなら約3.2年で体全体の細胞が入れ替わることになる。

②アレルギーの舌下免疫療法は、微量のアレルギー原因物質を定期的に投与して体を「慣れ」させて過剰なアレルギー反応を起こりにくくする方法であるが、治療の期間は3から5年が推奨されている。

具体的根拠というには少なすぎ、実際に「3年でこの体質がこのように変わりました!」という実例もデータも示されてはいませんので突っ込みどころ満載の説ではありますが、確かに体質を変えようというなら3年ぐらい頑張る覚悟は必要かもしれません。

最後に望ましい生活習慣として主張されているのは、ミトコンドリアを活性化するための「運動」「寒さ」「空腹」の3つです。エネルギーを消費して新陳代謝を活発にするのが良い、ということです。

 


江北図書館 つづき 「クウドル氏の手套」

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今月も江北図書館に行ってきましたので先月に続き書きます。

写真を撮るだけでなくちゃんと本を借りねば、と思って色々探していたらこの「月の光 井上靖自伝的小説集 第五巻」に行きつきました。その中で「クウドル氏の手套」という短編が目に入ったのです。

実は父が井上靖のファンで、家にも氏の小説が結構あります。私自身はいくつか読んだことがありますが、それほど惹かれてはいませんでした。しかしこのエッセイのような短編は心にしみました。

話しの内容を簡単に書きます。井上靖氏は長崎に旅行した際、偶然にも自分に関係のある二人の物故者の遺物に遭遇します。一人は初代陸軍軍医総監で日本の医学の発展に貢献した松本順氏で、もう一人がタイトルのクウドル氏です。

井上家の家系は代々医家でしたが、靖氏は家庭の事情から両親と離れ、曽祖父の妾であった「かの女」(靖氏はおかの婆さんと呼んでいた)に6歳から11歳まで育てられていました。そのおかの婆さんがとても大事にしていたのが大きな皮の手套(手袋)でした。これは、曽祖父と松本順氏は親交があり、ある時三人で皇族や大臣も参加する会合に出かけて行ったとき、おかのさんだけ雪の降る中玄関先で二三時間待たされていたところ、クウドルという外人さんか手套を貸してくれた、といういきさつです。結局返却できずにずっと持ち続けていたのですが、靖氏が驚いたのは、長崎に旅行した際に、外人墓地で偶然に「E・クウドル」、その下に「具宇土留」と彫られた墓を発見したのです。

その墓に埋葬されている人が手套を貸してくれたクウドル氏と同一人物なのかは最後まで明らかにされていませんが、さして幸福とはいえないように思えたかの女さんの人生の小さな記憶の一つとして平易だが格調の高い文章で綴られていました。


江北図書館

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最近写真撮影に訪れている滋賀県木之本町にはちょっと珍しい図書館があります。

正式には明治40年の開館ですが、杉野文彌(すぎのぶんや)という地元出身の弁護士さんが明治35年に設立した「杉野文庫」が前身です。杉野氏は、貧しかった自分が東京に出て弁護士になれたのは図書館のおかげである、と私財を投じて故郷に3000冊を寄贈したのが始まりです。

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その後何度かの存続の危機を乗り越え、昭和50年からは伊香農業協同組合の建物に移転して現在に至っています。100年前から蓄積されてきた郷土史、文学、仏教に関する全集から絵本まで幅広い蔵書が置かれており、興味がつきません。さらに木造のレトロな雰囲気がたまりません。

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図書館ですから当然入館無料で、私立で公的援助もなく年間収入約240万円の主体は前にある駐車場収入という苦しい財政状況です。寄付を募っていたので私も少額ですが振り込みました。何とか存続して欲しいです。

 


わくわくするほど楽しい

広治氏

リサイクルショップに古着を出しに行った時、このような室伏広治さんの本が90円で売っており、面白そうだったので買って読みました。

私は本格的な陸上競技の経験はありませんが、このようなアスリートがどんな努力をしてきたのか、ということについては結構興味があって色々読んでいます。

大学生の時、室伏広治さんのお父さん、室伏重信さんの本を読んだことがあります。まだ自宅の本棚に残っていました。下の写真の本です。彼がスランプに陥った時、当時貴重だった8ミリで自分のフォームを撮影し、二か月間練習は全くやめ、動画を毎日毎日何時間も見て自分のフォームを研究してスランプを脱したという記述を覚えています。

重信氏

今でもハンマー投げの日本歴代記録は、一位が室伏広治さんの84m86(2003年6月29日)、二位が室伏重信さんの75m96(1984年7月15日)です。

広治さんは2004年アテネオリンピックで金メダルを取りましたが、30歳台後半となった2011年には世界選手権で金メダル、2012年ロンドンオリンピックでは銅メダルを獲得しています。この競技生活晩年期には20歳台のような量の練習をやめ、投擲回数を必要最小限に減らして一本一本綿密に練り上げた課題を持たせて練習していたようです。

スポーツといえば「つらい負荷に耐えて動作を繰り返して体に覚えさせる」という練習がつきものですが、そのような反復練習でなく、感覚を働かせて「機能の覚醒」を試みるため様々なトレーニングを工夫しました。バーベルの重りの代わりにハンマーをぶら下げて、それが揺れるのをバランスを保ちながら姿勢を保持する、あるいは新聞紙を片手で丸めて小さくしてゆく、などです。

広治さんはこのようなトレーニングや試合に臨む一連の取り組みを「わくわくするほど楽しい」と書いています。この流れが「ゾーンに入る」ということに繋がったのでしょう。

 


「減量の正解」

タイトルに惹かれて『減量の正解』(エリック・ヘミングソン著 2021年)という本を読んでみました。著者はスウェーデンの肥満研究者です。

高血圧、糖尿病、高脂血症などの生活習慣病は体重が減ればかなり解決できることはわかっていますが、実際には非常に難しい。「過体重の患者さんにどうしたら痩せてもらえるか」は我々内科医の永遠のテーマと言えます。

要旨を自分なりにまとめて書きます。

・食事制限(ダイエット)では痩せられない。大半がリバウンドする。なぜなら体は元々の体重
に戻ろうとするから。

・ダイエットで体重が戻る原因は、① 代謝が低下してカロリーを消費しなくなる ②満腹感がなくなり、もっと食べようとする ③脂肪細胞数は減らない。

・肥満の人が取り組むべき課題は「ストレス」である。ストレスから超加工食品(ジャンクフード)に手が伸びてしまって肥る。

・加工食品を減らし、できるだけ自然のものを食べる。

・運動をする。

・いたずらに体重を減らすことにこだわるより、精神的に安定する方が大切である。

食事制限は効果がなく、心の健康を維持するべきだと言い切っているところが斬新でした。実際には食事制限が効果的な人もあるので、著者の主張を100%正しいとは思いませんが、新し視点を与えてくる本でした。


水道

水道と言っても蛇口をひねると水が出てくる設備のことではありません。

写真撮影のため琵琶湖北部の木ノ本、高月という地域をレンタカーでめぐっていたところ西野水道という史跡に行きつきました。

江戸時代、この付近の余呉川が何度も氾濫して大きな被害が出ていました。そこで琵琶湖への放水路を確保するためこの地の西野恵荘という住職が発案して山を掘削して水道(トンネル)を作りました。完成は1845年です。長さは220mですが、非常に硬い岩盤をノミだけで掘ってゆくため工事は困難を極め、6年かかったそうです。今は新しい大きな放水路ができて使用されていませんが、水道自体は史跡として残っていて中に入って琵琶湖畔まで出ることができます。

地図

史跡はよく整備されていて、長靴、ヘルメット、懐中電灯が備えられていました。中に入ってみましたが、照明はなく懐中電灯の弱い光を頼りに進んで行きました。下は結構水浸しで、狭く、直線でないため出口の光も見えません。天井も低いため何度もヘルメットをぶつけました。途中で恐くなって何度か引き返そうと思いましたが何とか暗闇の220mを歩き切り、琵琶湖畔に出ました。

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↓ 水道の入り口

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↓ 水道の出口

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↓ 琵琶湖畔に出たら美しい砂州が広がっていました。

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↓ 現在は三代目の大きな放水路から流れています。

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初代の水道の隣に二代目の大きな水道があり、現在は普通に歩行できるようになっています。帰りは簡単に真っすぐな短いトンネルを歩いて戻れ、少し拍子抜けしましたが、先人たちの苦労の一端を感じることができて貴重な体験をしました。 

 

 

 


津をあなどるな

若年者心疾患・生活習慣病対策協議会という名の研究会が三重県津市で行われ、医師会の特に心臓検診メンバーと出席してきました。

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何かと「県庁所在地の割には、、、、」と言われる津市ですが、色々あります。

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津駅

 

うなぎ

鰻で有名です。

 

夜の津

もちろん飲むところもあります。

 

観光地

観光地も色々あります。時間がなくて行けませんでしたが。

 

松重

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駅前の「松重」さんで松坂牛を頂きました。

私はこのブログでは食レポは殆どしませんが、津の名誉のために写真をアップします。牛肉とは別の食べ物のような美味しさでした。

関西人には今回のような特別な用事がないとなかなか行く機会がない街ですが、もう一度行って観光し、鰻を食べてみたいです。


カレンダー

表紙

本年も大晦日になりました。

毎年恒例のカレンダーを作成しました。今年も昨年に引き続き和歌山県九度山町とそこから高野山に近い地域にほぼ毎月通って撮影しました。上の写真は表紙のものです。12月の写真がなかなか決まらず、12月20日に毎年お願いしている阪神青写真工業さんに依頼し、急いで作成してもらい29日に届きました。夏休みの宿題をギリギリになってあわてる小学生の様です。

一部の写真を掲載します。このブログを見られた方でご希望の方には無料でお送りしますのでメールでお知らせください。

↓ 1月 椎出地区を山の上から見たところです。右下の方に高野下駅があります。かつては南海高野線の終点で、高野山への参詣の人々はここから徒歩かバスなどに乗り換えました。宿場町として栄えていました。

1月

 

↓ 2月 干し柿作り。九度山は柿の産地で有名です。

2月

 

↓ 4月 学文路駅から九度山駅の間の桜並木ライトアップです。

4月

来年は年末ギリギリにならないように、早くから写真をまとめようと思っています(今は)

 


丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)

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10月の最終日曜日、九度山にある神社の祭礼の撮影に行ってきました。

少し読みづらい名前ですが、官省符とは「特定の荘園に対して免税を認める公文書」で、8世紀ごろからあったようです。そういった荘園がこの地域にありました。神社は816年、弘法大師(空海)によって創建された由緒あるお社です。

祭礼では豊作、家内安全を祈願して写真のような美しい舞が奉納されました。始まるまでは地元の方々ばかりだったので何だか場違いなところに来てしまったのかと思いましたが、おいおい一眼レフカメラを持った人たちも何人か来られ、少し安心して撮影できました。

 


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先日、久々にカメラクラブの撮影会があり、滋賀県の坂本へ行ってきました。

今回の主被写体は「石組み」でした。坂本の隣町穴太(あのう)には古くから穴太衆という石工の技術者集団が暮らしていて、延暦寺や安土城など多くの建造物の石垣を作ってきました。

自然石を持ってきて全く加工せずに組み合わせ、堅牢で美しい石垣を構築します。これを野面積み(のづらづみ)と言います。坂本の街並みには写真のような石垣が残っています。

よく見てみると、大小様々な石がうまい具合にきちっと収まっています。不揃いな自然石を使うので「図面」も「マニュアル」もありません。技術を伝承するのは究極の「見て覚えろ」ですね。加工もせず、鉄筋も使わないのに数百年も耐える堅牢で美しい石垣を作るのは素晴らしい技術です。

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