水道

水道と言っても蛇口をひねると水が出てくる設備のことではありません。

写真撮影のため琵琶湖北部の木ノ本、高月という地域をレンタカーでめぐっていたところ西野水道という史跡に行きつきました。

江戸時代、この付近の余呉川が何度も氾濫して大きな被害が出ていました。そこで琵琶湖への放水路を確保するためこの地の西野恵荘という住職が発案して山を掘削して水道(トンネル)を作りました。完成は1845年です。長さは220mですが、非常に硬い岩盤をノミだけで掘ってゆくため工事は困難を極め、6年かかったそうです。今は新しい大きな放水路ができて使用されていませんが、水道自体は史跡として残っていて中に入って琵琶湖畔まで出ることができます。

地図

史跡はよく整備されていて、長靴、ヘルメット、懐中電灯が備えられていました。中に入ってみましたが、照明はなく懐中電灯の弱い光を頼りに進んで行きました。下は結構水浸しで、狭く、直線でないため出口の光も見えません。天井も低いため何度もヘルメットをぶつけました。途中で恐くなって何度か引き返そうと思いましたが何とか暗闇の220mを歩き切り、琵琶湖畔に出ました。

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↓ 水道の入り口

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↓ 水道の出口

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↓ 琵琶湖畔に出たら美しい砂州が広がっていました。

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↓ 現在は三代目の大きな放水路から流れています。

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初代の水道の隣に二代目の大きな水道があり、現在は普通に歩行できるようになっています。帰りは簡単に真っすぐな短いトンネルを歩いて戻れ、少し拍子抜けしましたが、先人たちの苦労の一端を感じることができて貴重な体験をしました。