10年ほど前、自宅の庭で白菜を栽培しようとしたことがあります。冬に自分で鍋をするようになり、採れたての白菜を鍋に入れればさぞ美味いだろうという目論見がありました。しかし苗を買って植えてみて育ってくると色々な虫にやられて葉がボロボロになりました。そこで毎夜診療が終わってから葉についている小さな虫をペンライトで照らして取り除くことを繰り返しました。そうして何とか葉がさほど食べられずに残った株を収穫して食べようと思い、キッチンの流しで一枚づつはがして洗っていったら最後の一枚をはがすとナメクジが居座っていてびっくりしました。
さすがにこの白菜の株は食べずに捨てました。そこですぐに思い浮かんだのは「ビニールハウスや農薬などがない時代はどうやって野菜を栽培していたのか?」という疑問です。例えば江戸時代の野菜はどうなっていたんでしょうか?
こんなことを本格的に調べだすとそれだけで大研究になりますが、近代以前の人々の日常の食事には以前から興味があったので少し本をのぞいてみました。
その名も「江戸の食生活(原田信男著、岩波現代文庫)」という本があります。この中で化政期(1804-1830)の地誌類の記述が紹介されていて、江戸に出荷する野菜としては大根、茄子、唐辛子、茗荷、小松菜、冬瓜、ごぼう、蕪、芋、ねぎ、三つ葉、くわい、蓮、菜物、人参が挙げられていました。ただ「菜物」がどんな種類なのかはわからずじまいでした。
また「下級武士の食日記(青木直己著、筑摩書房)」という本では紀州藩の下級武士が江戸へ単身赴任した時の食事や日常生活が紹介されています。この中で日記を分析した論文の表が引用されていて、本人の家計簿でどんな野菜が何回登場するか表記されています。結果としては野菜類73回購入の内、トップ3は茄子22回、大根9回、ねぎ5回であり、その他は菜、豆、瓜、ごぼう、ほうれん草、などが並んでいました。
私が痛い目にあった白菜について調べると、原産地は中国で、日本で栽培に成功したのは大正時代、主要野菜となったのは昭和初期ということでした。ほうれん草は江戸時代に中国から渡来しましたが、日本で普及したのは白菜と同じ時期ということです。逆に小松菜は江戸時代に現在の江戸川区小松川付近で栽培され始めたことが名前の由来で、同時代から広まっていたようです。茄子やねぎは奈良時代から食されてきたらしいです。
「粗食のすすめ」の著者幕内秀夫氏が書いた短い食事に関するエッセイで、東京の神田市場で大正15年から約70年間青果の仲卸業をしていたという人物の話として、「市場で働きだした当時は、ねぎと大根の2つだけあれば八百屋ができたんですよ」というエピソードが書かれていました。
茄子やねぎは虫の心配が少なく、栽培は比較的容易です。あくまで自分の調べた範囲ですが、かつて日本人は野菜としてはこの2種類や大根、人参、ごぼう等の根菜を多く食べていたのだと思います。比較的新しい白菜やほうれん草をことさらに問題視するつもりはないですが、古参の野菜も見直したいと思ます。