医師としての道。
それはもちろんまず医学生の間、大量の教科書とにらめっこしながら膨大な知識を頭に叩き込み、そして医師国家試験をクリアして晴れて新米医師としての第一歩を踏み出すことから始まります。
必要かつ十分な情報が与えられ、4~5個の選択肢の中から絶対唯一の答えを選べばよかった「医学」から、様々な社会的背景を背負った生身の患者さんに向き合う「医療」への昇華が必要となり、どれだけ優秀な新人医師でも必ずたくさんの壁にぶち当たることになります。
医学的には早目に入院して手術が望ましいけれど、家には患者さんに頼り切った要介護の高齢の親御さんがいる。
輸血した方がより安全に救命できそうだが、宗教的な理由から可能な限り避けたいと希望されている。
手術は生命を危険に晒す可能性もあるが、本人はリスクを承知の上で強く全回復を目指して最大限の治療を求め、その後の人生への期待を訴えている。
医療体制の整った都会であればもう数日家で様子を見れそうだが、この離島には週に1回しか本土に行く船が来ない。
このような人間ひとりひとりの事情、価値観、家族背景、さらには病院や医院の能力を踏まえて実践するのが「医療」であるのです。
無数のデータから出た信頼できる一つの結論と言えるガイドライン(医学の結晶)から外れた「医療」が時に施されるのはそれらのファクターを考慮して医師が最終決定を下しているからだと言えるでしょう。
医師にはその裁量と重大な責任が任されているわけです。
逆に、医師個人の経験から独特の「医療」に走りすぎないこともとても重要です。
数十年前までは、ひとたび開業すると日々進歩していく「医学」から離れ、自分流の「医療」に突き進んでしまう医院がたくさんありました(時に、一部の医師は俗に言うトンデモ医療へと進化を遂げる場合も)。
今の時代はインターネットを通じて、最先端の情報、論文にアクセスすることができ、コロナ禍以降はオンラインで学会や研究会にも出席が可能となりました。
コロナを一例も治療してない私も、コロナに関して相当正確な知識を有していると思います(この後莫大な数の患児の診察を行っています)。
適切な「医療」を実践するための正しい「医学」を身に着けるためには、結局は医師になってからどれだけ勉強をして研鑽を積めるかというところにあるのです。
医師を志す子供たちへ。
医師の仕事は人の人生に触れるということ。先人達が残してくれた知識を吸収し、同世代の医師達の苦労の結実である最新の知識を取り入れ、その上で病ではなく人間に相対して医療を施すということ。それはとても尊く、とても医師である自分一人の人生で完結できるものではない。次の世代、またその次の世代がもっと幸せに暮らせるように、その進歩のバトンをつなぎ続けるという仕事。目指してほしい。このとてつもなく大変で、魅力的な世界を。