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御先祖様たち

学校で歴史を学ぶと、どんな時代にも実は間違いなく自分の祖先がいたことに気づき結構びっくりしますよね。

ずっとずっとどこまで遡っても、必ずどこかにいて生活していたという驚きの事実。

さて、関ケ原の合戦でわちゃわちゃやってるまさにその頃、一体自分の御先祖様達はどこで何をしていたのだろうと想像力を働かせる時、きっとみなさんの頭の中では自らにそっくりな顔した甲冑姿の侍だったり、着物を着た町娘が生き生きと動いていることでしょう。

しかし、よく考えてみると自分の親は2人いて、祖父母は4人いて、曾祖父母は8人もいて、その上は16人もいて、、、ん、ちょっと待って御先祖様ってぶっちゃけ数やばくね?っと気づきますね。

昔はもっと早かったでしょうけど、少なくとも25年ごとに一世代進むとして100年で16倍。

関ケ原程度の昔でも65536人、大化の改新あたりでは「チーム久保の御先祖様」半端ない数です。

もうその頃一族でほぼ国支配してた系ですか、これ?

逆に言うと、私一人を製造するのにものすごい数の人たちが必要で、かつその登場人物たちが絶妙なタイミングで出会って次世代にバトンを渡していくというまあ控えめに言って奇跡の連続があったはずだな、と。

その結晶が私だと。

自信を失いかけた時、いつもこのことを思い出すともうちょいがんばってみようと不思議と力がわいてくるのです。


徒然なる隔離記録

先々週の一週間、次男からスタートのコロナで久保家は自宅で引きこもり生活を送っておりました。(患者さん、地域の先生方にご迷惑をおけけして大変申し訳ありませんでした。)

私も積極的に感染を目指し家族単位でオミクロンの免疫をつけるという作戦もだいぶ検討しましたが、クリニックの休診期間が2週間を越えるだろうことを考えると断念し、家庭内隔離で感染を免れました。

結局小3の次男から始まり、中1の次男、奥さんと、私以外は感染してしまいました。

オミクロン株の感染力は相当なものです。

子どもたちは半日程度の熱で終わり、10日の隔離期間をいかにやり過ごすかが苦心の種でしたが、奥さんは38度台✕3日間の後、味覚障害を発症してしまいました。

感染者の5%程度に起こると言われるこの味覚障害ですが、命に関わるものではないとはいえ、相当メンタルへの影響は大きく、奥さんもだいぶふさぎ込んでいました。

約3週間が過ぎ、ずいぶん回復しましたが1年後にも症状の残る方は0.5%と実に10人に1人は長期間苦しんでおられるようです。

このあたりが、気軽に「若い人は重症化しないからさっさと罹って免疫をつけた方が活動しやすいですよ」と全員にアドバイスできない理由になります。

私は子どもたちの世話を奥さんに任せ個室で家庭内隔離の1週間でしたので、ずいぶん負担をかけてしまいました。

ただ、1人で隔離生活というのも聞いていた以上に大変で、特に社会から隔絶されているという焦りは苦しいものでした。

休みとは言えコンビニ一つ行けないという、大げさに言えば人権を奪われている感覚は、なかなかの辛さがありました。

しかし、感染を終えた息子たちと奥さんはオミクロン優位の数か月の間だけは少し活動しやすくなったことは事実です。

体調に気をつけながらですが、じいじ、ばあばと一緒にご飯も食べることができるでしょう。

このように、感染することはショックで色々なマイナス面がありますが、罹った後には免疫を一段階鍛えられるというのは他のウイルスと一緒です。

また次の株が流行するまでだけの期間限定ですが、感染する確率、他の人にうつしてしまう確率がだいぶ低くはなりますので、息子たちは大好きなじいじ、ばあばのおうちに久しぶりにお泊りに行かせようと思っています。

私は感染を免れたので引き続き集まりには参加できませんが、子ども達が少しでも子どもらしいイベントに参加できるのはうれしいことです。

お子さんが感染してしまったご家庭でも本当にその期間は大変ではありますが。何とかポジティブに考えて頂ければと願います。

 

おまけ

私はマンションの10階に住んでいるのですが、数日分まとめて厳重にしばって感染対策したごみを下まで持って行くという数少ないミッションを奥さんから任されておりました。

感染している可能性が否定できないのでエレベーターが使えませんから外階段をえっさえっさと降りていくわけです。

「おー外の空気♡」と満喫するのもつかの間、地獄の昇りの試練でぜーぜー言いながら家にたどり着き、「にっくきコロナ」への思いを新たにしたのでした。