オミクロン株が完全にデルタを駆逐し、世界中を一色に染めています。
感染症の世界では、重症化させるウイルスが覇権を握るわけではなく、感染力が強いウイルスが幅を利かせます。
デルタの時ですら日本の小児の重症例は皆無に近かったですが、デルタで厄介だったのは30代、40代の元気な人達が急に悪化する事例が相次いだことです。
軽症で自宅待機していた基礎疾患のない働き盛りの患者さんが突然重篤になり、数は多くはないですが死亡例も発生しました。
オミクロンに関しては感染力にパラメーターを集中させたような株で、先に大流行した他国のデータや、一気に蓄積した日本国内の情報を基にすれば小児や若年層、基礎疾患や肥満のない働き盛り層で医学的に入院が必要な例は相当少ないと言えます(ただし医学的な扱いは軽症とは言っても高熱が数日、ひどい頭痛や咳など他のかぜより相当しんどいという認識の方は多いので注意)。
ただ、そのような自分自身は大ごとにならないだろうという人の周りには自分の祖父母、場合によってはひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、また医療や介護で高齢の方に日常的に接する人が社会には大量にいて、つまり「うつしてはいけない人」がすぐそこにたくさんいるということは肝に銘じておかなくてはなりません。
日本のような先進国は、「命は何よりも尊い」という、正しいのだけれど他の議論を一切封じるような理想論がはびこっていて、トータルとしてどっちの選択肢の方が被害が少ないかという検討を非常にしにくい風潮があります。(いわゆるコスパの議論も非常にしにくい)
コロナを高齢の方や、基礎疾患のある方にうつさないように皆で全力を尽くすということはとてもとても大事で疑問の余地はありませんが、実際にそのような方をサポートする実働部隊は若い世代なのです。
今、大量の元気な働き世代の人が、「濃厚接触者」というレッテルのため長期間元気に自宅待機を余儀なくされています。
その反動として今目の当たりにしているように、社会が機能停止寸前に追い込まれ、再び教育がその歩みを止めています。
コロナが最初流行し始めた時から我々日本人は崇高な意識から、早い収束のため多大な我慢と努力の元、今この瞬間も世界で最も死者の少ない国の一つであり続けています。それは近い将来、コロナが終わる日が来ると信じていたからです。
ところが皆さんがとうに気づいている通り、コロナは完全な終息というのはありえない感染症です。
withコロナの社会を本格的に考える時期に差し掛かっているように思われます。
私は医師として、そしてクリニックのスタッフは医療従事者として、ありがたいことに2年間日常生活で公然と差別を受けるようなことはありませんでした。
むしろ、たくさんの気遣い、励ましのお言葉を頂き、そのたびに勇気を奮い立たせて頑張ってきました。
しかし、スタッフにも私の家族にも皆さん同様、2年間本当にたくさんの制限、我慢を強いてきました。
医者の妻だから、息子だから、医療者の家族だから、「今はガマン」。
「お友達の家に遊びに行ってもいい?」という息子からの質問に、「もう少ししたらね。あと少しだけ。」そう言って忍耐を求め続けた2年間。
いつしか私が困ることを理解した息子たちはそうしたお願いも言わなくなりました。
このコロナ禍の間、「命は何よりも尊い」ことを知り尽くしている医療者であるからこその苦悩と、ずっと格闘してきました。
これからもこの状況が続くなら、2度と帰ってこない息子達の貴重な時間や失われ続ける経験はどうなるのか。
医者として父として、夫として何が正解なのか。
そんな葛藤と戦いながら、またテントでの1週間が始まります。