月別アーカイブ: 2016年1月

追憶③ ~阪神淡路大震災 伝えたいこと~

自分語りのようになってしまったけれど、私が伝えたいこと。

神様を信じる事は、自信や心の救いを与えてくれるかもしれない。

でも最後の最後、本当に人を救えるのは人であると私は思う。

震災直後にがれきに埋もれ、身動きの取れないまま火の手が迫る中、閉じ込められた命を外に引きずり出したのは近所の人たちのその両手であったということ。

自分たちも被災し、中には家族を失った中で活動して下さった消防隊や自衛隊、医療者などの方々が、たくさんの命を救い物資を届け、被災者を勇気づけたということ。

大自然には勝てないけれど、でも人間は負けないということ。

そしてもうひとつ、人は死ぬということ。

 

中学生になり布団で寝るようになった私が、小さい頃に使っていて屋根裏部屋に解体して置いてあったベッドをふと気まぐれに組み立てて寝るようになったのは震災のほんのしばらく前だったと記憶している。

私はあの大震災をほんの偶然の差から生き残り、そして小児科医として、これからの命を救う使命を負った。


追憶② ~阪神淡路大震災1月18日~

一夜明けても町は一向に動き出す様子を見せませんでした。

当然電気とともに水道も止まっており、トイレも流すことができない状態が続いていました。

コンビニや店にある食べ物が善意で配られ、寒さに震えながらみなが憔悴しきった様子でなんとか喉に詰め込んでいるような状態だったと思います。

とてつもない天変地異が起きたことを認めざるを得ない24時間を過ごし、長兄と母は相談して、大阪府吹田市に住む母の妹の家を目指す決断を下しました。

阪急岡本駅にほど近い我が家から線路に沿って東へ大阪を目指す。

日本全体が同様に壊滅しているかも。

いとこのところも同じ状況かも。

きっと4人とも同じことを考えていたけれど、口にするとそれが現実になってしまいそうで、黙々と歩き続けました。

だんだん日が暮れて電灯の光もない真っ暗な道を歩きました。

崩壊した家々のがれきのせいで迂回もしながら。

3駅歩いて、西宮駅が近づいて来ると、徐々に明かりがともり始めました。

そこから東は電車が動いていて、スーツ姿のサラリーマンもいたり、まるで今までの日常のような様子にびっくりしました。

吹田のいとこ宅に夜に到着してから、母とおばはひとしきり泣いて再会を喜んだあと温かいご飯や、お風呂を頂き、泥のように眠りました。

 


追憶① ~阪神淡路大震災1月17日~

私は中学校2年生の冬に、最も震度の強かった地域の一つである神戸市東灘区の実家で被災しました。

2階の自分の部屋で就寝中にドーンと下から突き上げられたような衝撃があり、その後強く揺さぶられて目を覚ましました。

何が起こったか分からず、茫然としていると、隣の部屋にいる長兄からの「大丈夫か?」という問いかけがあり、とりあえず、「うん。」と応えたのを今でも覚えています。

停電のため暗闇の中でしたが、室内がめちゃくちゃになっているのが何となく分かりました。

足の裏に気をつけて、部屋を出て長兄と合流し、1階にそろそろと降りると、こたつでそのままうたたねしてしまっていた母と次兄も起き出してきていました(父は静岡に単身赴任中)。

この時、揺れからまだ10分前後だったでしょうか、このタイミングではおそらく阪神地域の誰も何が起こったのかは分からない状況で、外はやけに静かだったように思います(地域にもよるかも)。

その後、外に出てだんだん明るくなってから見た光景は、空襲を受けたかのような変わり果てた町でした。

電信柱が折れ、アスファルトの地面にはいくつもの亀裂が走り、また多くの家屋が倒壊していました。

この震災の特徴であった、1階部分が押しつぶされているというアパートやマンションもたくさんありました。

助けを求める声が何か所かからあり、無事だった大人が手分けして救助を試み始めました。

我が家は有難いことに倒壊を免れましたが、明るくなってからみた家の中はひどい有様でした。

壁際に置いたピアノは部屋の中央まで移動し、テレビ(当時はまだ結構重量もある大きいものでした)は窓をつきやぶって庭に転がっていました。

布団ではなく柵のあるベッドで寝ていたため、私の頭を押しつぶしていただろう重量のある棚が数10㎝ほど上で止まっていました。

長兄の布団の足元には直撃を避けるかのようになぜか斜めに倒れてくれている本棚がありました。

次兄と母の寝ていたこたつの天板の上には粉々に割れた大量の皿とともにのしかかった重厚な食器棚がありました。

あの日、たくさんの場所でこのような小さな偶然が生死を分けました。

 

何も情報のないままあっと言う間に1日が過ぎ、近くの小学校に避難しました。

小学校のすぐそばの家が火事になり煙がもうもうと立ち上がっているのに、いつまでたってもどこからも消防車のサイレンが聞こえてこないという異様な光景は、日本全体、いや地球全体が滅亡の危機に瀕しているのではないかという恐怖を感じさせました。

ろうそくの薄暗い明りの中、幾度とない余震に教室でぎゅうぎゅう詰めで雑魚寝していたみながほとんど眠れない初日の夜を過ごしたと思います。