一夜明けても町は一向に動き出す様子を見せませんでした。
当然電気とともに水道も止まっており、トイレも流すことができない状態が続いていました。
コンビニや店にある食べ物が善意で配られ、寒さに震えながらみなが憔悴しきった様子でなんとか喉に詰め込んでいるような状態だったと思います。
とてつもない天変地異が起きたことを認めざるを得ない24時間を過ごし、長兄と母は相談して、大阪府吹田市に住む母の妹の家を目指す決断を下しました。
阪急岡本駅にほど近い我が家から線路に沿って東へ大阪を目指す。
日本全体が同様に壊滅しているかも。
いとこのところも同じ状況かも。
きっと4人とも同じことを考えていたけれど、口にするとそれが現実になってしまいそうで、黙々と歩き続けました。
だんだん日が暮れて電灯の光もない真っ暗な道を歩きました。
崩壊した家々のがれきのせいで迂回もしながら。
3駅歩いて、西宮駅が近づいて来ると、徐々に明かりがともり始めました。
そこから東は電車が動いていて、スーツ姿のサラリーマンもいたり、まるで今までの日常のような様子にびっくりしました。
吹田のいとこ宅に夜に到着してから、母とおばはひとしきり泣いて再会を喜んだあと温かいご飯や、お風呂を頂き、泥のように眠りました。