医者という仕事その10 標準治療

医学用語の一つに‘standard therapy’ スタンダードセラピーという言葉があります。

日本語では「標準治療」と訳されますが、この言葉の響きがどうも患者さんの心にあまり響かないように感じます。

医学の世界では、医師免許を持っているだけという風変わりな単独の医師一人の的外れな意見が、うっかりすると画期的で素晴らしいものとしてメディアに取り上げられてしまうことが実際に日常的に起こっています。

Standard therapyというのはそのようなある個人の意見ではなく、「大規模な複数のデータに基づいた、現時点での医学における最適な選択肢」というニュアンスであり、短く翻訳するなら「最適治療」と呼ぶべきものです。

かぜ、熱性けいれん、がん、リウマチ、喘息、アトピー性皮膚炎などたくさんの患者さんが苦しんでいる疾患では世界中で膨大なデータが蓄積されており、さらにそのデータをものすごい数の医師が吟味した上で現在の医学のレベルにおいて最良の選択肢が提示されています。

これをガイドラインと呼びます。

ある偉い一人の先生の経験した症例などは誤差の範囲と言えるくらいに、たくさんのデータを集めるわけです。

30年後の医療では、最良の選択肢はきっと変化、進化しているでしょう。

また医学は時にミスをしますので、最良の選択肢が後に間違いであったと判明することもあります。

それらを踏まえた上で、最終的な選択は患者さんが行うことになります。

 

さて治療方針の選択の際、社会的地位の高いかつ収入の多い人ほどこの「標準治療」に満足しない傾向があります。

「標準治療」=「普通の人が受ける一般的な治療」で、自分たちが受けるべきはいくらかかってもいいから「特別治療」であるべきということなのでしょうか。

芸能人の方のニュースを見ていると、家族ががんになってしまった時に「最適治療」を受けていれば助かった可能性が相当に高いにも関わらず、そのような標準的な治療には満足できずいわゆる高額な民間療法を選択して亡くなっていくいうケースが数多くあります。

何とも言えないやるせなさ、むなしさ、憤り。

 

くぼこどもクリニックでは、特別な治療は残念ながら提供できません。

よそにはない熱を一発で下げる薬も、肺炎にならない薬もお出しすることはできません。

そして薬の副作用を心配する御両親を必死で説得して、正確なデータに基づいて髄膜炎の子どもにはとてつもない量の抗生剤が何日にもわたって点滴されるべきであり、川崎病の子どもには血液製剤が大量に入れられべきであり、治療可能な白血病の子どもには何ヶ月もの間繰り返し抗がん剤が投与されるべきであると考える、普通の、平凡な、標準的な医師である私が院長を務めています。

一方で私は「かぜ」が「かぜ」ですんでいる間は抗生剤が投与されることはなく、さっきからの熱で税金を使って無意味なインフルエンザ検査がされるべきでもないと考えているごく一般的な医師の一人です。

2019年1月29日における極めて極めて標準的な医療を行うことが私の日々の目標です。

本当は診察室に来た子どもに無理矢理でも打ちたいワクチンややりたい治療(逆にやりたくない検査や投薬も)がありますが、もちろんそんなわけにはいきませんから、医師の仕事の中でその行為の重要性を説明し御両親に理解してもらう作業が大きなウェイトを占めるのは当然のことです。

そして、データに基づいた医学的事実よりも書いた人の素性も根拠も分からないブログをなぜ人間は信用したくなるのか、そのメカニズムを知りたくて情報科学や心理学の分野まで私の興味は広がっていくのであります。