月別アーカイブ: 2021年3月

美しいうなじ

皆さま、こんにちは大阪市淀川区で「脱毛症の専門治療・下肢静脈瘤や眼瞼下垂症などの日帰り手術・美容治療」に力を入れているしんおおさかクリニックのスタッフ中尾です

先日ご紹介したエッセイ「旅を栖とす」。読み進んでいくうちに、一緒に旅をしているような臨場感を味わっています。楽しいだけの旅行記ではなく、筆者である高橋久美子さんの旅への向き合い方も伝わってきて、う~んと考えさせられます

例えば、~灼熱のタイ旅行記~ではこんな風に記されています 「どの国を旅しても、文化や伝統の歴史はほぼ戦争や侵略の歴史と共に変遷し、楽しいはずの旅が、歴史を知れば知るほど落ち込んでしまうこともある。東南アジアで唯一植民地化を免れた“微笑みの国タイ”が、何世紀にも渡り隣国ビルマからの脅威に耐えてきた辛い歴史があることも切り離せない事実だ。」

アユタヤ王朝の史跡も、栄えていた時代の華やかさではなく、ビルマ軍によって破壊された生々しい傷跡を見ることになり、あまり記念写真を撮る気になれなかったと。

そして、~カンボジアの青年たち~では、伝統舞踊のことも書かれていました。カンボジアとういうと、地雷をイメージする方が多いと思いますが、1974年~1978年頃に強行されたポルポト政権による虐殺で、多くの文化人や少数民族が殺され、内戦が終結した後でも埋められた大量の地雷はずっと市民を苦しめてきました。

文化の象徴ともいえる「アプサラ」の踊りも、虐殺の標的となり、踊りの先生や踊り子のうち90%が処刑され、振り付けを記録していた書物もほとんどが消失。

だけど、逃げ延びることができた数人の踊り子は諦めず、1989年に舞踊教室を再開、アプサラの踊りは復活を遂げます。ビュッフェで沢山食べたはずの著者が、食事の記憶がないくらい見入ってしまったという踊り。美しさだけではない強い祈りを感じたというアプサラ。私も見てみたいな

アプサラ

 

 

 

 

 

 

さて、最近私たちは美しいうなじ」にするべく、えりあしのレーザー脱毛を始めています。髪型によって見えたり見えなかったりするうなじですが、中々自分で整えることが難しい場所なので、殆どお手入れをされていない方が多いのではないでしょうか

このうなじ(えりあし)の形、主に4種類あると言われています。

【W型】えりあしの両サイドの毛の部分を長く残した形→一般的に「きれいなえりあし」とされています。

【U型】毛先が自然に丸みを帯びている形→ナチュラルでやわらかい印象を与えます。

【ぱっつん型】まっすぐ横一直線の形→男性的で爽やかな印象を与えます。

【WM型】W型のように、えりあしの両サイドの毛の部分を長く残し、その形の中央の部分に小さく山の形があるもの→この形のえりあしが最も美しく、理想的なうなじとされています。

毛質や毛量は人それぞれですし、好みもあります。必ずしもWM型を作れるとは限りませんし、毛の流れも様々。どんなうなじが自分にピッタリなのか、考えてみたいですね。

ちなみに、舞妓さんはきれいにWの形が出るように、うなじにお化粧をしています。とっても美しく艶っぽい色気があって憧れます

ご興味のある方は、是非スタッフにご相談下さいね

舞妓さんのうなじ


サクラサク

皆さま、こんにちは大阪市淀川区で「脱毛症の専門治療・下肢静脈瘤や眼瞼下垂症などの日帰り手術・美容治療」に力を入れているしんおおさかクリニックのスタッフハマ子こと濱田です。

今週は連休です。土曜日に宝塚歌劇をに久し振りに観劇する事ができ、たっぷり充電して参りました。宝塚歌劇も長い間休止していましたが、演者の人数を少なくしたり、2階席には観客を入れないなど様々な対策を講じて再開されております。

前評判も高い作品でしたが完成度が高く見応えがある作品で、その作品を観劇できたことは最高の幸せでした。トップコンビのお二人の美しいハーモニーに聞き惚れてしまって3時間もあっという間に過ぎ去りました。またこのお二人で素晴らしい作品を発表してくださることを願います。

ところで宝塚劇場前の花の道も桜並木が有名ですが、この数日の陽気でちらほら咲き始めております。桜の歴史についてJAFの雑誌に井筒清次さんという作家が投稿されていましたのでご紹介します。

万葉集の時代中国から移入された梅は、貴族のあいだで珍重され、庭にも植えられました。令和の年号も「梅花の歌」の序文「初春の令月にして気淑く風和ぎ」からとられたように、歌会でも多く詠まれました。したがって「万葉集」掲載の梅の歌は110首程度あり、桜の40首程度に比べて多く、「花といえば梅」でありました。

ところが、都が京都に移され、御所の紫宸殿の前庭の梅が桜に植え替えられ「左近の桜」となり、嵯峨天皇が西暦812年に神泉苑で花宴を開くようになると次第に「花といえば桜」となり、日本文化を代表するものとなりました。

昔は桜といえばヤマザクラであったのが、幕末に生まれた染井吉野がなぜメジャーになったかというと、若木のうちから花が咲き、生長が早く、学校・公園・城跡・街路など新たに植えられる桜のほとんどが染井吉野になったそうです。クローンであるため同じ条件のもとでは、同時に花をつけ同時に満開になることからこの100年の間で「桜といえば染井吉野」となったそうです。

染井吉野の特性は、他の多くの花と異なり、枯れてから散るのではなく、生きたまま綺麗なまま散ることです。群として植栽されるといっせいに咲き、いっせいに散るためとりわけ感動的な桜となりました。

昨年急逝した私の伯母は生前伯父の反対を押し切り家の庭に桜の木を植えたそうです。桜の時期は毎日掃き掃除に明け暮れていたけれど伯母はとても気に入っていて大事にしていたそうです。今年も同じように桜の花が咲く頃でしょう。お洒落でユーモアが溢れる伯母でしたが桜の花になって家族を見守ってるのかなぁと思います。


最近読んだ本

皆さま、こんにちは大阪市淀川区で「脱毛症の専門治療・下肢静脈瘤や眼瞼下垂症などの日帰り手術・美容治療」に力を入れているしんおおさかクリニックのスタッフ中尾です

先月髪を短く切りました「そうだ京都、行こう」みたいな感じで「そうだ髪、切ろう」と。自分では、映画「レオン」に出てくる少女マチルダ(ナタリー・ポートマンが演じています)になった気分で、いっそのこと殺し屋になろうかと思っていましたが、診察終わりにふと鏡を見たら、そこに映っているのはマチルダではなく田嶋陽子さんでした。殺し屋は止めてシャンソン始めようかな

田嶋陽子さん

 

 

 

←そこまで言って委員会、拝見しています

 

さて、最近始めたマッサージピールとっても好評です 私もスタッフも受けていますが、お肌が艶々ピカピカ✨になります。マスク生活で人とも会えない日々が続いていますが、こんな時こそ美容に力を入れてみませんか お肌に自信が持てると、笑顔も増えます

マッサージピールは2~3週間に一度、6回程度受けていただくのが理想です。是非ともトライしてみてくださいね

先週こんな本を購入しました

白川さん

 

「メンタル強め美女白川さん」

白川さんは「私は私 可愛く強くがモットーの、25歳OL。美人で目立つゆえに様々なひがみ、嫌がらせを受けますが、それにめげずマイペースに突き進むメンタル強め女子です。

この白川さん、色んな名言があるのですが、おこがましくも私に通ずるものがあります。

 

「自分がされて嫌だったことは、人にもしない それだけ」

「結婚しようがしまいが、お母さんになろうがなるまいが、私の幸せは私が決める」などなど。

コミックなので読みやすく、悩みやモヤモヤを前向きに捉えて乗り越えていく姿に好感が持てます

そして今はこの本を拝読中

Web

 

 

 

 

一年に一回、友人と旅行するのですが、コロナ禍でしばらくは行けそうにありません そんな時に出会ったこの本。「旅は一期一会のライブ」。本を通して旅に出かけようと思います


率先避難者

皆さま、こんにちは大阪市淀川区で「脱毛症の専門治療・下肢静脈瘤や眼瞼下垂症などの日帰り手術・美容治療」に力を入れているしんおおさかクリニックのスタッフハマ子こと濱田です。

3月11日は東日本大震災から10年となります。昨日(3/6)放送のNHKスペシャルでは、生死を分けた避難行動について特集しており、とても興味深い内容だったのでご紹介します。

想定外の津波により逃げ遅れて亡くなった方と、無事に避難できて九死に一生を得た人にはどんな差があったのか?住民の聞き取り調査を10年かけて続けた結果、色々な事がわかってきたそうです。

まず分かったことは、自宅で商売を営んでいた人に逃げ遅れた傾向が浮き彫りになりました。自宅が店舗を兼ねている場合、大きな地震が発生後、お客さんにはいち早く避難を促すが、自分たちは散乱した店舗の片付けに夢中になり、大きな津波が来ることを察知できず、逃げ遅れたようです。

そして助かった住民の分布図を見ると、助かった人が集中する区域がある事がわかります。その中に津波の危険性を察知して率先避難者がいた為、周りの住民もつられて地震発生直後に避難行動をとる事ができたようです。

公民館が避難先になっていたところでは、住民が避難してきましたが、館長さんが2階建の公民館ではこれから来る津波では絶対ダメだともっと高台に避難するように促し、何百人もの人の命を救ったそうです。

避難所になっていた小学校では、校長が地震発生直後に全校生徒を裏山に避難させました。この小学校では普段から裏山に避難する訓練を行なっており、とてもスムーズに避難が完了していました。地震発生後、我が子の安否を確認する為続々と駆けつける保護者や避難してくる住民に残っていた教員が裏山に子供たちが避難した事を伝え、保護者も裏山に向かいます。無関係の住民も裏山に避難し、避難の呼びかけが連鎖しここでも多くの住民が難を逃れました。

しかし普段から防災意識の高い地域であったのに多くの命が失われたところもあったようです。ハザードマップではこの高さなら水没はしないであろうと建設されていた避難所にもかかわらず、想定外の津波により避難していた住民の命が奪われたそうです。備えていたにもかかわらず、予想をはるかに超える災害は大事な人の命を容赦なく奪い去って行きました。残された人達は無念でならないでしょう。

災害が起きたとき、当たり前にできていた事ができなくなります。避難をできるのに迷っていた人が、逃げ遅れた人も多いようです。自分自身で考えるのはいざという時難しいから、何度もシュミレーションして自然と体が動くようにしておくために普段から避難経路の確認や避難訓練をするのは大事なんだと感じました。沢山の尊い命に教えられた大切な教訓ですね。犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りします。