サクラサク

皆さま、こんにちは大阪市淀川区で「脱毛症の専門治療・下肢静脈瘤や眼瞼下垂症などの日帰り手術・美容治療」に力を入れているしんおおさかクリニックのスタッフハマ子こと濱田です。

今週は連休です。土曜日に宝塚歌劇をに久し振りに観劇する事ができ、たっぷり充電して参りました。宝塚歌劇も長い間休止していましたが、演者の人数を少なくしたり、2階席には観客を入れないなど様々な対策を講じて再開されております。

前評判も高い作品でしたが完成度が高く見応えがある作品で、その作品を観劇できたことは最高の幸せでした。トップコンビのお二人の美しいハーモニーに聞き惚れてしまって3時間もあっという間に過ぎ去りました。またこのお二人で素晴らしい作品を発表してくださることを願います。

ところで宝塚劇場前の花の道も桜並木が有名ですが、この数日の陽気でちらほら咲き始めております。桜の歴史についてJAFの雑誌に井筒清次さんという作家が投稿されていましたのでご紹介します。

万葉集の時代中国から移入された梅は、貴族のあいだで珍重され、庭にも植えられました。令和の年号も「梅花の歌」の序文「初春の令月にして気淑く風和ぎ」からとられたように、歌会でも多く詠まれました。したがって「万葉集」掲載の梅の歌は110首程度あり、桜の40首程度に比べて多く、「花といえば梅」でありました。

ところが、都が京都に移され、御所の紫宸殿の前庭の梅が桜に植え替えられ「左近の桜」となり、嵯峨天皇が西暦812年に神泉苑で花宴を開くようになると次第に「花といえば桜」となり、日本文化を代表するものとなりました。

昔は桜といえばヤマザクラであったのが、幕末に生まれた染井吉野がなぜメジャーになったかというと、若木のうちから花が咲き、生長が早く、学校・公園・城跡・街路など新たに植えられる桜のほとんどが染井吉野になったそうです。クローンであるため同じ条件のもとでは、同時に花をつけ同時に満開になることからこの100年の間で「桜といえば染井吉野」となったそうです。

染井吉野の特性は、他の多くの花と異なり、枯れてから散るのではなく、生きたまま綺麗なまま散ることです。群として植栽されるといっせいに咲き、いっせいに散るためとりわけ感動的な桜となりました。

昨年急逝した私の伯母は生前伯父の反対を押し切り家の庭に桜の木を植えたそうです。桜の時期は毎日掃き掃除に明け暮れていたけれど伯母はとても気に入っていて大事にしていたそうです。今年も同じように桜の花が咲く頃でしょう。お洒落でユーモアが溢れる伯母でしたが桜の花になって家族を見守ってるのかなぁと思います。






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