皆さま、こんにちは大阪市淀川区で「脱毛症の専門治療・下肢静脈瘤や眼瞼下垂症などの日帰り手術・美容治療」に力を入れているしんおおさかクリニックのスタッフ中尾です
今月4日、アフガニスタンで長年、農業用水路の建設など復興に携わってきた医師の中村哲さんが、東部ナンガルハル州を車で移動中に何者かに銃撃され亡くなりました。
中村医師を偲び、2016年9月10日にETV特集「武器ではなく 命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン」が再放送されました。
1984年、国際医療NGOの医師として、アフガニスタンの隣国パキスタンに派遣された中村医師は、戦乱の続くアフガニスタンから逃れてきた難民たちに出会います。そして、故郷に戻っても医師も診療所もないと知り、1991年アフガニスタンに診療所を開設し、医療活動を始めます。そんな中、アフガニスタンを襲った歴史的な大干ばつにより、2000年の夏深刻な症状の子供が次々と運び込まれます。水不足のために、栄養状態・衛生状態が良くない子供たち。中村医師が村を回ると、飲み水のための井戸が完全に干上がり、水が出る数少ない井戸には人々が殺到し、わずかな水をめぐって争いが起こっていました。干ばつは農業にも壊滅的な打撃を与えていました。
そんな中で起きたのがアメリカテロ事件。
空爆開始から3ヶ月。タリバン政権が崩壊すると、パキスタンに避難していた中村医師がアフガニスタンに向かいます。そこは、たくさんのアフガン難民であふれかえっていました。国連による難民帰還プロジェクトも開始されますが、中村医師が目にしたのは途方に暮れる村人たちの姿でした。
中村医師は白衣を脱ぐ決意をし、食料と水こそがアフガン復興の礎と考え、用水路を建設に乗り出します。「食糧生産が上がらないから栄養失調になる、水が汚い、下痢などで子供が簡単に死んで行く、そういう状態を改善するためには、医者を100人連れてくるより水路を1本作った方がいい。医療と命を大切にするという意味では、理屈ではなく直結している。医療は決して無駄だとは言わないけれど、背景にあるものを絶たないと病気は減らない。悲劇は減らない」着工から7年、最終目的地ガンベリ砂漠まで総延長25㎞、真珠を意味するマルワリード用水路は2010年完成を迎えます。中村医師は言います。「これは平和運動ではない。医療の延長なんですよ」と。
訃報を知った時、医師なのに用水路建設
と思ったのですが、番組を拝見してなぜ建設に至ったかを理解しました。恥ずかしながら
、これまで存じ上げなかった方ですが、同じ日本人として誇らしく、哀悼の意を捧げたいと思います。
皆さまもご存知のフローレンス・ナイチンゲール。
イギリスの看護婦で、看護婦の仕事の基礎を作り、医療制度や医療施設を改革した人物です。このナイチンゲールによって一世紀以上も前に書かれた「看護覚え書」
。ここには、看護の原点と基本的原理が論述されています。要約しますと「看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさ、などを適切に整え、食事内容を適切に選択し適切に与えること ― こういったことのすべてを、患者の生命力の消耗を最小にするように整えること(←学生時代に学びました。懐かしい~
)」
中村医師の活動に通ずるものがあると思いませんか